杉岡 邦由(すぎおか くによし、1942年2月10日 - 2016年/2017年[1])は、日本の走高跳の選手。1959年から1972年にかけて日本選手権優勝6回[1]、オリンピック出場4回(1960年ローマ1964年東京1968年メキシコシティー1972年ミュンヘン[1]。走高跳の技術が飛躍的に発展した時代に選手として活動、正面跳びはさみ跳び)・ベリーロール背面跳びの3種の跳躍方法をマスターしながら記録を伸ばした。

1962年アジア競技大会インドネシアジャカルタ)に出場し、走高跳で優勝した[2]

生涯

編集

日本大学第二高等学校3年生であった1959年、日本選手権で優勝(2m00)[1]。日本大学に進学・卒業ののち、八幡製鐵に入社した[1]

2020年8月の新聞記事によれば、「3年前」にマニラで死去[1]

脚注

編集
  1. ^ a b c d e f g 酒瀬川亮介 (2020年8月2日). “三種の跳び方をマスター 「走り高跳びの帝王」のすごさ”. 朝日新聞. https://www.asahi.com/articles/ASN8144QFN7ZUTQP00K.html 2021年7月5日閲覧。 (有料記事)
  2. ^ Asian Games”. gbrathletics. 2024年2月23日閲覧。

関連項目

編集