李 文博(り ぶんはく、生没年不詳)は、中国文人本貫博陵郡

経歴 編集

隋の開皇年間、羽騎尉となり、吏部侍郎の薛道衡に見出されて、その下で検書史をつとめた。後に秘書内省に宿直し、古籍の校勘にあたった。清貧な生活を守り、晏子にたとえられた。しばらくして校書郎に転じ、後に県丞として出向して不遇をかこった。薛道衡が司隸大夫となり、東都の尚書省で文博に出会うと、文博の零落をあわれみ、従事として任用するよう上奏した。文博の人物と文才は李綱房玄齢虞世基といった人々にも評価された。隋末の乱のために消息不明となり、晩年のことは知られていない。

著に『治道集』10巻があった。

伝記資料 編集