李春成

大韓民国の教員、公務員、政治家、外交官

李 春成(イ・チュンソン、朝鮮語: 이춘성1923年 - 1984年10月4日)は、大韓民国教員公務員政治家外交官文化公報部次官、第18代全羅北道知事

経歴

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日本統治時代の全羅北道全州出身。高麗大学校商科大学卒後、英語教師のほか全州米国公報院長などを務めた。ミネソタ州立大学大学院卒[1]。このほか、駐ニュージーランド大使などを務めた[2]。1971年6月22日から1973年10月22日までは第18代全羅北道知事を務めた[1]

1984年10月4日に持病により死去。享年61[2]

脚注

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  1. ^ a b 李春成(이춘성) 全北(전북)지사 치밀한 學究派(학구파)로 東洋畵(동양화)즐겨”. NAVER Newslibrary. 동아일보 (1971年6月12日). 2023年12月5日閲覧。
  2. ^ a b 前全北知事(전전북지사) 李春成(이춘성)씨”. NAVER Newslibrary. 동아일보 (1984年10月5日). 2023年12月5日閲覧。
外交職
先代
-
 シエラレオネ大韓民国大使
初代:1974 - 1977
次代
李允熙
先代
姜春熙
 ニュージーランド大韓民国大使
第2代:1977 - 1981
次代
咸永焄