村井 勝(むらい まさる、1937年3月29日 - )は、日本実業家。兵庫県芦屋市出身。米カリフォルニア大学ロスアンゼルス校(UCLA)経営学部大学院修士課程修了。
米国IBM入社(1962年)N.Y.ミッドタウンオフィス勤務。1960年春、UCLAの入学手続きに行った際、受付の隣にはIBM社が寄付したウェスターンデータセンターがあり、中にはIBM7090が稼働していた。そのそばには江崎ダイオードが飾られていた。世界初の半導体コンピュータを目の当たりにして、深い感動を覚え、コンピュータ業界に骨をうずめる決心をした。当時、コンピュータの実物を目の当たりにした数少ない日本人であったろう。卒業後、米国IBMに入社し、30年間日米はじめ、カナダ中南米オーストラリアアジアなどを担当した。アナログディジタル通信を同時に扱う電話交換機のロルム社の買収や、通信機器全般にも携わる。1991年、日本IBM退職後、コンパックコンピュータの日本法人設立に関与し、コン パックコンピュータ株式会社初代社長に就任。当時、日本のパーソナル・コンピュータ市場は、日本語専用仕様のパーソナル・コンピュータを販売していた。そのため、世界標準のものに比べ、はるかに高い市場価格で販売されていた。コンパックコンピュータ㈱は、世界標準のパーソナル・コンピュータに日本語ソフトを搭載するコンピュータを拡販する活動をマイクロソフト社と共同で推進した。ハードウェアを国際標準にすることで、大幅な製品コストの低減に貢献し、ソフトを含めた市場価格は世界標準並みに低減することに成功した。初代コンパック社長TXアントレプレナーパートナーズ代表。株式会社一柳アソシエイツ(特別顧問)。
著書には『元外資系IT社長が明かす! 会社の「強み」が企業を壊すとき』などがある。

むらい まさる

村井 勝
生誕 (1937-03-29) 1937年3月29日(87歳)
日本の旗 兵庫県芦屋市
出身校 関西学院大学
UCLA大学大学院
職業 コンパック(初代社長)
日本IBM(元情報通信統括本部長) 
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経歴 編集

その他:株式会社一柳アソシエイツ特別顧問

関連項目 編集

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