東幸治
東 幸治(ひがし こうじ、1884年(明治17年)11月25日[1] - 1925年(大正14年)6月21日[2])は、日本の衆議院議員(立憲政友会→政友本党)。ジャーナリスト。号は孤竹。
経歴
編集鹿児島県出水郡上出水村(現在の出水市)出身。鹿児島中学校を卒業後[3]、『鹿児島新聞』の記者となった[4]。その後の1917年(大正6年)に中央大学を卒業した[5]。内務省・鉄道省の嘱託として、アメリカ合衆国・メキシコ・中華民国・フィリピン・ボルネオ島・ジャワ島・マレー半島・南洋諸島・シベリアなどを調査した。
1924年(大正13年)、衆議院補欠選挙に出馬し、当選。同年の第15回衆議院議員総選挙で再選を果たした。
著書
編集- 『桜島大噴火記』(1914年、若松書店・松田書店)
- 『米墨縦横』(1920年、政教社)
脚注
編集参考文献
編集- 『第一回乃至第二十回総選挙 衆議院議員略歴』衆議院事務局、1940年。
- 広幡明男『大正十三年五月当選 代議士詳覧』泰山堂、1924年。
- 加藤紫泉『新代議士名鑑』国民教育会、1924年。