東洋日の出新聞(とうようひのでしんぶん)は、1902年(明治35年)1月に鈴木天眼によって長崎で創刊された新聞。もっぱら東亜問題を論じた。

概要

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長崎という貿易港の立地を生かし、インド南洋・南北支那朝鮮等で活躍する多くの大陸浪人が集い、創業時には鈴木の下に田中侍郎星健之助西郷四郎福島熊次郎丹羽翰山安永東之助宇都宮小次郎等の同人等が助勢した。その後、大串喜好山口亨渡邊七郎鈴木聞一植松久平酒井泉濱田盛之助等が入社した。

日露戦争時には満州義軍に加わり、馬賊の楊二虎と角力して之を手玉に取り大いに畏敬を受けた。鈴木の死後は金子克己が主幹となり、支那事情に精通した。

1934年(昭和9年)に廃刊した[1]

脚注

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  1. ^ 【マイクロフィルム】東洋日の出新聞”. 明治新聞雑誌文庫. 東京大学. 2021年5月31日閲覧。

参考文献

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  • 葛生能久『東亜先覚志士記伝(上)』大空社〈伝記叢書〉、1997年5月。ISBN 4756804659