松任谷 國子(まつとうや くにこ、1938年 - 2010年7月26日)は、日本画家[1][2][3]1960年代には、タレントとしてラジオやテレビで活躍した[3]

経歴 編集

頭山満の孫娘・尋子と、松任谷健太郎の娘として[4]東京に生まれる[1]

少女時代は「幼稚園の先生になりたかった」という[5]

1959年森村学園を卒業した後、フジテレビのオーディションに合格して『バースデークイズ』のアシスタントとしてタレント活動を始めた[2]。以降、司会者、俳優、インタビュアーなどとして活躍したが、当時から本業は画家としていた[5]

二科展では、1961年に初入選し、その後も1965年にローマ賞、1969年に金賞を受賞した[3]。ローマ賞でイタリアへ留学した後もベルギーアメリカ合衆国で画業を続け、またアフリカ諸国にも滞在した[6]

その後、2008年には二科展絵画部理事となった[1]

この間、同じく画家である妹の松任谷千鶴としばしば「姉妹展」を開催した[1]

おもな著書 編集

  • ベルギー・愛の滞在、新書館、1976年
  • ボヘミアンからの航空便 : 女たちのスケッチ、PHP研究所、1977年

出演 編集

バラエティ番組 編集

  • バースデークイズ(放送年不明、フジテレビ)
  • 3・3が9イズ(1970.6.7~1971.9.26、朝日放送)

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脚注 編集

  1. ^ a b c d 松任谷 國子 「ブーケ」 Kuniko Matsutoya”. ギャラリー田辺. 2022年6月1日閲覧。
  2. ^ a b “[お顔拝借]松任谷国子 「ムードを出したい」 背伸びせずマイクへ”. 読売新聞・夕刊: p. 10. (1961年11月7日). "このところたいへんな売れっ子である。"  - ヨミダス歴史館にて閲覧
  3. ^ a b c “松任谷国子 顔”. 朝日新聞・東京朝刊: p. 26. (1980年2月22日). "ひと昔前、ラジオやテレビでおなじみの売れっ子タレントだった松任谷邦子が..."  - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧
  4. ^ 週刊現代 (2017年3月29日). “ユーミンと大物右翼「頭山家」の知られざる血脈と交流”. 講談社. 2022年6月1日閲覧。:音楽家の松任谷正隆は従弟にあたる。
  5. ^ a b ““創造に過保護は禁物” “画家”松任谷さん 現代母親批判”. 読売新聞・朝刊: p. 18. (1972年6月18日). "テレビ、ラジオの司会者、俳優、インタビュアーなどでおなじみだが本業は画家。...だが、本当は「幼稚園の先生になりたかった」のだそうだ。"  - ヨミダス歴史館にて閲覧
  6. ^ “[ひといきいれて]音楽とブランデーと 松任谷国子さん”. 読売新聞・朝刊: p. 12. (1976年10月23日)  - ヨミダス歴史館にて閲覧
  7. ^ 海底大戦争 スティングレイ”. スーパー!ドラマTV. 2022年8月8日閲覧。