松平 由重(まつだいら よししげ、大永3年(1523年) - 慶長8年10月25日(1603年11月27日))は、戦国時代から江戸時代初期の武将。通称隼人佐、太郎左衛門。
徳川家康に仕え、永禄3年(1560年)刈谷の戦いで深手を負った[1]。傷は癒えても身体が思うようにならず松平郷に隠居した。慶長8年(1603年)10月25日死去、享年81。法名浄林。墓所は晴暗寺(愛知県豊田市)[2]
『寛政重修諸家譜』より
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