松平重忠 (三木家)
松平 重忠(まつだいら しげただ)は、戦国時代から江戸時代初期の武将。父は松平信孝。通称九郎右衛門[1]。
時代 | 戦国時代後期 - 江戸時代初期 |
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生誕 | 天文9年(1540年) |
死没 | 慶長6年12月2日(1602年1月24日) |
別名 | 九郎右衛門 |
戒名 | 道徹 |
墓所 | 養国寺(東京都文京区関口) |
主君 | 徳川家康 |
氏族 | 三木松平家 |
父母 | 父:松平信孝 |
兄弟 | 女(榊原正久室)、女(上田元俊室)、重忠 |
子 | 忠清、忠利、女(旗本松波勝安室) |
略歴
編集父は、松平広忠を補佐する立場に有りながら、最終的には松平宗家と敵対した松平信孝で、父の信孝が天文17年(1548年)に松平広忠と戦って討死するが、重忠が出奔するに至った経緯もあり、許されて成長後に徳川家康に仕えた。
天正18年(1590年)の家康の関東移封に伴い大番頭となった。慶長5年(1600年)に到仕し、翌年6年12月2日に死去[2]。法名道徹。
長男の忠清は父と同年に死去し、三木松平家は断絶。それ以前に分家していた次男の松平忠利は旗本として続いた。娘の一人は斎藤道三のひ孫とされる旗本の松波勝安の妻となった。
参考文献
編集- 『寛政重修諸家譜-1輯』(国民図書、1922年、85p)
脚注
編集外部リンク
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