松本錦升
概要編集
由来は六代目松本幸四郎の俳名「錦升」。後に六代目はこれを名跡とし、晩年の3年間「松本錦升」を名乗った。
しかしこの「錦升」を通名としてより広く使ったのは、次の七代目松本幸四郎の方だった。七代目幸四郎は舞踊藤間流三世家元として三代目藤間勘右衛門の名跡を持っていたが、新たに松本流を創設し、その後見人としてこの流派を興隆させた。
その曾孫にあたる7代目市川染五郎(現・10代目松本幸四郎)が松本流三世家元を継承した際、彼は曾祖父の俳名をとって家元の名跡を松本錦升としている(詳細は「松本流」の項を参照)。
- 松本錦升(七代目松本幸四郎の俳名)
- 松本錦升(八代目松本幸四郎の松本流での名前)
- 市川染五郎時代の1937年に七代目錦升を襲名。
出典編集
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