藤間流(ふじまりゅう)は、日本舞踊における流派の一つ。日本舞踊における五大流派の一つに数えられる。1704年頃に藤間勘兵衛が創流し、今日では「家元」勘右衛門派と、「宗家」勘十郎派の二派に大別される。また藤間流からは藤陰流松本流などが派生している。おおまかな振りの舞踊が特徴で、花柳流の細かい振付と対照的に比較される。

藤間流
分類 日本舞踊
創始 1704年
創始者 藤間勘兵衛
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系統

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勘兵衛派

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藤間流を立てた藤間勘兵衛の系統。1906年に断絶し、勘兵衛の名跡は勘十郎派に預けられている。

  • 藤間勘兵衛 (初代)(? - 1769年武州入間郡藤間村(現川越市大字藤間)の出身。志賀山流門下で修行を積み、振付師として活躍した。
  • 藤間勘兵衛 (2代)(? - ?)初代の実子が襲名。
  • 藤間勘兵衛 (3代)(? - 1822年)二代の女婿で、家庭の不和から一時藤間を離れ、勘十郎を名乗る。4代以降は女系で踊りの師匠となった。

勘右衛門派

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弘化2年(1845年)、初代藤間勘右衛門が創流。

勘十郎派

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藤間大助によって立てられた。大助は養父の3代勘兵衛との仲が悪く、後に和解するものの、養家に遠慮して分家し、初代勘十郎を名乗った。

その他の藤間流分派

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紋三郎派
昭和32年(1957年)、歌舞伎役者・二代目尾上幸蔵の長男で、六代目勘十郎の内弟子だった尾上紋三郎改メ藤間紋三郎と、妻の美保が創流。
藤間新流
昭和33年(1958年)、高橋是清の孫娘で六代目勘十郎に師事した藤間勘素娥が創流。
東扇会
昭和38年(1963年)、勘十郎に師事した藤間麗基代が創流。大衆に日本舞踊を伝えることを目標としている。
紫派
昭和62年(1987年)、藤間紫が創流。夫の三代目市川猿之助率いる猿之助一座の若手への指導を行ったことから、澤瀉屋一門には藤間の名取となる役者もいる。

外部リンク

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