板津 宇平治(いたつ うへいじ、1864年元治元年)6月28日 - 1928年昭和3年)6月19日)は、岐阜県加茂郡富加町出身の政治家[1]

生涯 編集

滝田で坂津家第16代当主として生まれる。1875年1月、滝田村法源寺住職板津玄妙和尚について、和漢学を修める。

1884年10月、村戸長役場に勤める。

1885年6月に第3師団歩兵隊に入営し、1888年4月に満期除隊となり、役場に就職。会議員、収入役、区長を併任した。

1894年9月17日、日清戦争に従軍し、朝鮮へ出兵し各地の守備隊として奮戦、1895年12月24日に帰還。

同戦役の功により勲八等瑞宝章を下賜。役場に再就職して、1897年4月1日、合併した初代富田村村長に就任して以来、30年間村政を行う。その間、郡会議員に選出され、郡議会長となる。加茂郡銀行の設立に貢献した。65歳で死去[2]

脚注 編集

  1. ^ 『富加町史』「板津宇平治」
  2. ^ 「氏は体格肥大にして豪放、畏敬されており、この人一言ですべて決着して、一般の者はほとんど立ち打ちすることは出来なかったとのことである」[要出典]

参考文献 編集

  • 富加史

外部リンク 編集