林 庭機(りん ていき、1506年 - 1581年)は、明代官僚学者は利仁、は肖泉[1]本貫福州府閩県

生涯 編集

林瀚の子として生まれた。1535年嘉靖14年)、進士に及第し、翰林院庶吉士に任じられた。翰林院検討に進んだ。国子司業に転じ、南京国子祭酒に抜擢された。南京太常寺卿に転じた。1559年(嘉靖38年)、南京工部右侍郎となった[2]1561年(嘉靖40年)、南京礼部右侍郎に転じた[3]1563年(嘉靖42年)、南京工部尚書となった。1566年(嘉靖45年)、南京礼部尚書に転じた[4]1567年隆慶元年)、致仕し、帰郷した[5]1581年万暦9年)12月、死去した[6]。享年は76。太子太保の位を追贈された。は文僖といった。著書に『平曾一本叙』1巻[7]・『文集』12巻[8]があった。

子に林燫林烴があった。

脚注 編集

  1. ^ 李清馥『閩中理学淵源考』巻44
  2. ^ 談遷国榷』巻62
  3. ^ 『国榷』巻63
  4. ^ 『国榷』巻64
  5. ^ 『国榷』巻65
  6. ^ 『国榷』巻71
  7. ^ 明史』芸文志二
  8. ^ 『明史』芸文志四

参考文献 編集

  • 『明史』巻163 列伝第51