林豪蔵(はやし ごうぞう、1903年3月 - 1975年)は、日本の建築家建築教育者である。

来歴 編集

1903年明治36年)3月、東京市麹町区に生まれる。東京府立第四中学校(現 東京都立戸山高等学校)、第一高等学校を経て、1927年に東京帝国大学建築学科を卒業した。大阪府警察部建築課勤務ののち、1931年4月に横浜高等工業学校建築学科、同年10月には教授に就任した。1969年3月に定年を迎えるまで、横浜高等工業学校、横浜工業専門学校横浜国立大学、横浜国立大学工業教員養成所で教鞭を取った。1966年からは工業教員養成所の所長を務めている[1]

1947年には、日本建築学会関東支部設置に向けた懇談会の出席者に、建築教育に関わる立場として名前が記録されている[2]

作品 編集

1935年に着工した横浜銀行協会の建物の設計を行っているが、これ以外の作品は知られていない[1]

親族 編集

  • 大熊喜邦 - 林は大熊の娘婿にあたる。前述の横浜銀行協会の設計者は大熊と林の連名となっているが、実施設計は林の手によるものと推測される[1]

出典 編集

  1. ^ a b c (横浜市教育委員会 1994, p. 101)
  2. ^ 日本建築学会関東支部 設立までの経緯”. 日本建築学会関東支部. 2021年1月24日閲覧。

参考文献・資料 編集