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柴田 安子(しばた やすこ、1907年 - 1946年7月27日)は、日本の画家。旧姓最上[1]最上広胖の娘。

略歴編集

1907年秋田県大曲市で生まれる[1]

上京して千代田高等女学校に入学、在学中から松岡映丘に師事。1931年に結婚[1]

1938年には新美術人協会を設立。しかしその同年、甲状腺の異常が見つかり手術を行った[1]

1946年には病状が悪化。その頃、絵画に対する理想が高かったために、自作のほとんどを焼却した[1]。その翌年に東京都で病死、享年39[1]

作風編集

 
めらはど(1936年)

柴田は大和絵日本画、近代洋画などさまざまなジャンルの絵画を学び、自らの作品に取り入れた[1]。例えば女性達を描いた『めらはど』(1936年)は、当時としては斬新であった「計算された線と色彩による構築的な構図」[1]によって描かれている。また小熊秀雄は、新日本画研究会展に出品された『馬市帰路』に対して「光りの落ちてきかたは興味がある。」「画の出来不出来を別にして、作者の思索生活が出てゐるのは観る者をうつ。」[2]などと評している。

作品編集

  • 牧婦
  • 灑衣
  • 馬市帰路 - 新日本画研究会展に出品。
  • めらはど(1936年) - 秋田弁で「娘たち」という意味。青龍社展入選作[1]

脚注編集

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  1. ^ a b c d e f g h i 『日本の美術 女性画家の全貌。――疾走する美のアスリートたち』(2003年美術年鑑社)p.114 ISBN 4-89210-156-7
  2. ^ 小熊秀雄「革新の日本画展」、『新版・小熊秀雄全集第五巻』、創樹社、1991年。