柿原彬人(かきはら よしひと、1938年10月14日 - 2006年7月18日)は日本の実業家。福岡県出身。出生名は柿原孝(読み方不明)だったが、1993年に改名した[1]

コーエーテクモホールディングスの前身の1社・テクモの創業者。日本アミューズメントマシン工業協会の会長も務めた。

経歴 編集

  • 1957年3月 福岡県立明善高等学校卒業。
  • 1962年3月 中央大学経済学部卒業。
  • 1962年4月 大和証券株式会社入社。
  • 1967年7月 日本ヨット(後のテクモ)を設立。
  • 1999年7月 社団法人日本アミューズメントマシン工業協会(JAMMA)会長に就任。
  • 2001年10月 テクモ代表取締役会長に就任。
  • 2004年6月 JAMMA顧問。
  • 2006年7月18日 間質性肺炎のため死去[2]

脚注 編集

  1. ^ JAMMAジャーナル第2号(1993年12月20日発行)第7面
  2. ^ “柿原彬人氏死去 テクモ会長”. 共同通信. (2006年7月21日). http://www.47news.jp/CN/200607/CN2006072101003592.html 2015年5月5日閲覧。