桑原実
新潟県刈羽郡出身の画家 (1912-1979)
桑原 実(くわはら みのる、1912年(明治45年)3月10日 - 1979年2月11日)は新潟県刈羽郡出身の画家[1]。
来歴
編集1929年新潟県立旧制長岡中学校(現新潟県立長岡高等学校)卒業、翌1930年東京美術学校(現東京芸術大学)図画師範科入学。1933年3月卒業。同年、東京市下小岩尋常小学校(現江戸川区立下小岩小学校)教諭。
1935年第22回二科展に「父と子」が入選となり、以後、二科展に毎回出品。
1939年豊島区池袋第五小学校(現豊島区立池袋小学校)教諭。1946年東京第二師範学校教諭。1951年東京学芸大学附属豊島小学校教諭を経て、1954年東京大学教育学部附属中学校高等学校(現在の東京大学教育学部附属中等教育学校)に勤務し、美術科の授業を担当する。
1967年東京芸術大学助教授となり、同大音楽学部附属音楽高等学校教諭も兼務。1970年東京芸術大学教授。
受賞 二科展出品年譜
編集出典:『日本美術年鑑』昭和55年版(264-265頁) 登録日:2014年04月14日 更新日:2021年12月10日 (更新履歴)
- 1935年 22回展 「父と子」
- 1936年 23回展 「起重機」
- 1937年 24回展 「窓」
- 1938年 25回展 「カルスト」
- 1939年 26回展 「彫刻家」
- 1940年 27回展 「自転車」
- 1941年 28回展 「勢揃へ少年群」
- 1942年 29回展 「黙想する少年達」
- 1946年 31回展 「散髪」「食べる人達」「路傍の兒」「建物」
- 1947年 32回展 「夏の子供」「人々」「真昼」
- 1948年 33回展 「アパート裏」
- 1949年 34回展 「ロータリー」「カルスト」
- 1950年 35回展 「街」
- 1951年 36回展 「夜」「プール」「一偶」
- 1952年 37回展 「夜のプール」「お化け煙草」「原っぱを通る若い夫婦」「屋上で褌を干す子供」
- 1953年 38回展 「踏切番」「水の上の群像」
- 1954年 39回展 「双生児の学園」「スポーツの後」「街頭の人」
- 1955年 40回展 「双生児連弾」「甲冑」「昼の花火」
- 1956年 41回展 「エキスパンダー」「背負う人」
- 1957年 42回展 「鴉」「塑像する小女と」
- 1958年 43回展 「テトラポット」「鳩と老人」「働く人」
- 1959年 44回展 「シャワー」「漁港の群像」「テトラポット」
- 1960年 45回展 「岩と青年」「犬と青年」
- 1961年 46回展 「野焼」「火山灰地」
- 1962年 47回展 「高原」「青年集う」
- 1963年 48回展 「プールサイド」「運ぶ人」
- 1964年 49回展 「ピカドール」「アクロポリスの石工」
- 1965年 50回展 「尼のいる構図」「ハタハタ水あげ」
- 1966年 51回展 「ピカドール行進」
- 1967年 52回展 「HATAHATA」「JOREN」
- 1968年 53回展 「石を刻む」「セベリアの道路工夫」
- 1969年 54回展 「断絶の子ら」「漁獲」
- 1970年 55回展 「コルドバの老人」「断絶の母子」
- 1971年 56回展 「ドウォモ広場の風船売」
- 1972年 57回展 「生えの祷り」
- 1973年 58回展 「International Airport Waiting room」
- 1974年 59回展 「モスクの人々」
- 1975年 60回展 「メデイナの外壁(モロッコ)」「メデイナの入口(モロッコ)」
- 1976年 61回展 「メデイナの父子(モロッコ)」「ルクソールの休日(エジプト)」
- 1977年 62回展 「ジェルバ島の渡し(チュニジア)」「遊牧の人々(チュニジア)」
- 1978年 63回展 「オアシスの洗濯(チュニジア)」「ラクダの馭者(チュニジア)」
- 1979年 64回展 「ラクダの馭者(チュニジア)」
脚注
編集- ^ “桑原実 :: 東文研アーカイブデータベース”. www.tobunken.go.jp. 2023年1月7日閲覧。
- ^ 国立国会図書館. “洋画家「桑原実(くわばらみのる)」について知りたい。”. レファレンス協同データベース. 2023年1月7日閲覧。
外部リンク
編集- 「桑原実」『日本美術年鑑』昭和55年版(264-265頁) 「桑原実 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)
- 東京文化財研究所資料より https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/9654.html