梵灯庵(ぼんとうあん、正平4年/貞和5年(1349年)- 応永24年(1417年)?)は、南北朝時代から室町時代中期にかけての連歌師。もとは足利家の家臣で朝山小次郎師綱と称し、後に勝部姓に改めている。

冷泉為秀和歌を、二条良基連歌を学び[1]室町幕府3代将軍足利義満和歌連歌をもって同朋衆として仕え、使者として2回薩摩国へ下っている。40歳過ぎに出家し、筑紫国熊野陸奥国など20年余り諸国を巡り歩き、連歌師としての名を広めた。句風は、周阿の影響を受けて技巧的であるが、連歌書では誠の数寄にふれ主観的な美意識を唱えた。門弟に高山宗砌がいる。

連歌書に「梵灯庵袖下集」「梵灯庵主返答書」などがある。

脚注編集

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  1. ^ 上田正昭、津田秀夫、永原慶二、藤井松一、藤原彰、『コンサイス日本人名辞典 第5版』、株式会社三省堂、2009年 29頁。