樊 伉(はん こう、生年不詳 - 紀元前180年)は、前漢の人。舞陽侯(在位 紀元前188年 - 紀元前180年)。
父は樊噲で、高祖劉邦が庶民の頃から付き従い、舞陽侯に封じられた。母は呂嬃で、劉邦の妻の高后呂雉の妹[1]。恵帝6年(紀元前189年)に樊噲が死ぬと[2]、恵帝7年(紀元前188年)に樊伉が後を継いで舞陽侯となった[3]。そのとき高祖は既になく、高后が政治の実権を握っており、樊伉の母もその権力にあずかった[4]。高后8年(紀元前180年)7月に高后が死ぬと、9月に漢の大臣が呂氏を滅ぼし、樊伉もこのとき殺された[2](呂氏の乱)。
- ^ 『史記』樊酈滕灌列伝第35。岩波文庫『史記列伝』3、70頁。『漢書』樊酈滕灌傅靳周伝第11。小竹武夫訳『漢書』4、359頁。
- ^ a b 『史記』樊酈滕灌列伝第35。岩波文庫『史記列伝』3、71頁。『漢書』樊酈滕灌傅靳周伝第11。小竹武夫訳『漢書』4、360頁。
- ^ 『史記』高祖功臣侯者年表。古典研究会叢書『史記』4、28頁。『漢書』高恵高后文功臣表第4。
- ^ 『漢書』樊酈滕灌傅靳周伝第11。小竹武夫訳『漢書』4、360頁。