正広

1412-1493?, 室町時代中期の僧、歌人。号は招月庵。法号は正晄、正晃。没年は1494年とも。家集『松下集』、他に『正広詠歌』『正広日記』等。

正広(しょうこう、1412年 - 1493年?)は、室町時代中期の歌人。号は招月庵。法号ははじめ正晄・正晃と称した。日比(ひごろ)の正広とも称された[1]。没年については1494年ともされる。俗名を森彦右衛門範俊とする説は疑問が残る[1]

初め飛鳥井家のもとで歌道を学び、13歳で東福寺清巌正徹の有心歌風に傾倒して門弟になる[1]1459年(長禄3年)正徹がなくなると、招月庵を継いだ[1]。その後、大内教弘に招かれて周防国に下るが[1]応仁の乱(1466年-1476年)の難を避けるため、京都を離れて各地を訪れる[1]。この間、師正徹の歌集『草根集』の編纂や歌会の指導を行った[1]。1486年(文明18年)以降は、堺や摂津を拠点とし、飛鳥井雅親冷泉為広らと交わり、歌壇の指導者となった[1]

作品

編集
  • 『松下集』 - 家集[2]
  • 『正広日記』(文明5年) - 紀行文。1473年(文明5年)駿河国に下った際の紀行文。
  • 『正広詠歌』(文明7年) - 文明6年から7年に詠んだ和歌が中心。

脚注

編集
  1. ^ a b c d e f g h 日本古典文学大辞典編集委員会『日本古典文学大辞典第3巻』岩波書店、1984年10月、340-341頁。 
  2. ^ 人物略歴”. 国立国会図書館. 2022年10月29日閲覧。