正忍記』(しょうにんき、せいにんき)は、1681年延宝9年)に紀州藩軍学者名取正澄によって書かれたとされる忍術[1]。写本が数種類現存しているが、名取正澄が書いた原典は発見されていない[1]。忍びの教育のためだけではなく、名取流軍学の一部として門弟に伝授されていたと考えられる[1]。 全3巻の構成で、忍者の携帯必需品「忍び六具」や潜入に適した7種の変装「七放出」などは、正忍記が根拠になっている。[2]紀州流の忍術書と言われるが、あくまで新楠流軍学の中の一項目としての忍術であり、紀州流といった忍術が存在するわけではない。[2]

正忍記の1頁

万川集海、忍秘伝と合わせて、三大忍術伝書に数えられる。[2][出典無効]

出典 編集

  1. ^ a b c 稲本紀佳「『正忍記』の本文比較と周辺研究」『三重大史学』第18巻、三重大学人文学部考古学・日本史・東洋史研究室、2018年3月、1-23頁。 
  2. ^ a b c 正忍記とは |忍びの館”. ninja-yakata.net. 2021年8月13日閲覧。