武末辰雄

日本の警察官僚

武末 辰雄(たけすえ たつお、1909年1月27日[1] - 没年不詳)は、日本の警察官僚

経歴 編集

福岡県筑紫郡春日町(現・春日市)に生まれる。旧姓は土生、武末家の養子となる[2]。1926年福岡県中学修猷館[3]、1929年旧制福岡高等学校文科甲類[4]を経て、1932年東京帝国大学法学部法律学科を卒業[5]

東大在学中に高等試験に合格し、卒業後、内務省に入省。群馬県を振り出しに、秋田県地方課長、岡山県商工課長などを歴任[2]。戦後、広島県警察隊長、1950年4月東京都警察隊長を経て[6]、1952年4月皇宮警察本部長に就任[1]。就任直後の1952年5月1日、皇宮前において発生した血のメーデー事件の対応を行った。1954年1月2日、二重橋事件が発生し、多数の死傷者が出たことを受け、引責辞任することとなった[2]

脚注 編集

  1. ^ a b 『人事興信録第18版』(人事興信所、1955年) タ-124頁
  2. ^ a b c 『ふるさと人物記』(夕刊フクニチ新聞社、1956年)230頁
  3. ^ 『修猷館同窓会名簿 修猷館235年記念』(修猷館同窓会、2020年)同窓会員19頁
  4. ^ 『福岡高等学校一覧 第19年度(自昭和15年4月至昭和16年3月)』(福岡高等学校編、1941年)161頁(「土生辰雄」として)
  5. ^ 『東京帝国大学一覧(昭和5年度)』(東京帝国大学、1930年)472頁(「土生辰雄」として)
  6. ^ 『人事興信録第16版』(人事興信所、1951年) タ-87頁