松山藩(まつやまはん)は、江戸時代前期、武蔵国松山(現・埼玉県東松山市、比企郡吉見町)周辺を領した藩。藩庁は松山城に置かれた。
徳川家康が関東入国すると、天正18年(1590年)に松平家広が松山城と1万石を与えられて立藩した。のちに3万石に加増された。しかし、家広は慶長6年(1601年)、25歳で病死する。異父弟の忠頼が継ぐが、加増されて遠江国浜松城に5万石にて移封し、松山藩は廃藩となった。
譜代 1万石→3万石