民主回復国民会議は、第4共和国下の韓国における民主化運動勢力の連帯組織で、1974年12月25日に発足した。略称は「国民会議」

民主回復国民会議
各種表記
ハングル 민주회복국민회의
漢字 民主回復國民會議
発音 ミンジュヘブク クンミンフェイ
日本語読み: みんしゅかいふく こくみんかいぎ
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概要 編集

国民会議は「民主回復」を目標に掲げ、組織性格は「汎国民的な非政治的団体であり、政治活動ではない国民運動を展開する」と規定し、「自主・平和・良心」を行動綱領とした。 

朴正煕大統領による個人独裁体制、所謂「維新体制」に反対する民主化運動は1974年1月に布告された緊急措置1号[1]民青学連事件に関連して同年4月に布告された4号[2]によって封殺された。しかし、8月に緊急措置が解除されると民主化運動は再び盛り上がり、野党や学生、宗教人、ジャーナリストなど様々な分野で活発な運動が展開された。11月27日、尹潽善(前大統領)や兪鎮午(元新民党総裁、憲法学者)、金泳三新民党総裁)、梁一東民主統一党代表)、咸錫憲(宗教家)、千寛宇(言論人)、尹亨重(宗教家)、李丙璘(法律家)、李兌栄(法律家)など各界の代表者71名がソウル市鐘路のキリスト教会館に集まって、民主回復宣言大会を開催した。この場で「民主回復国民会議」の発足が決議された[3]。大会では、現行憲法の合理的手続きを経たうえでの民主憲法への改正、服役・拘束・軟禁中の政治犯すべての釈放と政治的権利の回復、言論の自由保障など6項目からなる「国民宣言」を採択した。そして同年12月25日、民主回復国民会議はソウルYMCA会館で創立大会を開き正式に発足した。代表委員として尹享重(常任代表委員)・李丙璘李兌栄梁一東咸錫憲など10名が、洪性宇韓勝憲咸世雄など6名が運営委員となった。また顧問には尹潽善、金大中など18名が顧問に選出された[4]

正式発足から3ヶ月後の75年3月までに7市道と20余の市郡で支部が結成された。国民会議は民主化運動勢力の中心勢力として、2月12日に行われた維新憲法への賛否を問うための国民投票に対するボイコット運動、捜査機関によって強制された自白、陳述書や覚書の無効を宣言する良心宣言運動などを展開した。しかし、国民宣言に署名した大学教授の罷免や、国民会議の運営に携わっていた弁護士を連行するなど発足当初から政府による厳しい弾圧を受けた。1975年5月の緊急措置9号[5]の宣布で、国民会議の活動は完全に封じられてしまった。

民主回復国民宣言署名者 編集

民主回復国民宣言署名者(計71人)[6]
類別 氏名
元老 尹潽善白楽濬李仁金弘壱兪鎮午鄭一亨鄭華岩
独立闘士 金載浩安在煥劉錫鉉
制憲議員 陳憲植宋鎮百黄虎鉉
カトリック 尹亨重咸世雄申鉉奉金沢岩安忠錫楊弘李昌馥朴祥来
プロテスタント 金在俊咸錫憲姜信明姜元龍金観錫尹攀熊趙香禄李相麟朴昌均姜基哲桂勲悌
仏教 法頂
学界 李熙昇鄭錫海李東華全景淵朴鳳珢徐南同文東煥安炳茂
文人 李軒求金廷漢朴淵禧金奎東白楽晴高銀金潤洙金炳傑洪思重
言論人 千寛宇李泳禧張龍鶴金容九夫琓爀任在慶
法曹人 李丙璘洪性宇黄仁喆韓勝憲林炚圭
女性 李兌栄孔徳貴李愚貞金正礼
政治人 金泳三梁一東安弼洙高興門尹済述金哲

脚注 編集

  1. ^ 緊急措置1号は1974年1月8日に宣布された措置で、1.維新憲法に対する否定・反対・歪曲・誹謗行為の禁止、2.憲法の改正・廃止・発議・請願行為の禁止、3.流言飛語のねつ造・流布の禁止、4.禁止行為の扇動・宣伝・放送・報道・出版などの禁止措置を内容としている。措置違反者は逮捕令状なしで逮捕・拘束・押収・操作することができ、非常軍法会議で15年以下の懲役や資格停止に処することができた。『朝鮮・韓国近現代史事典』503ページ
  2. ^ 緊急措置4号は1号と同じ年の4月3日に宣布された措置で、1.民青学連と関連諸団体を組織あるいは加入、会合や通信および便宜提供など直接間接を問わない構成員活動に関与する一切の行為禁止、2.民青学連と関連諸団体の活動に関する表現物の出版や制作・所持・配布・展示・販売する行為の禁止、3.正当な理由なく授業出席を拒否、学内の集会(学校関係者の指導監督による正当な授業や研究活動は除く)・デモ・討論・籠城など集団行為の禁止、4.同措置を批判・誹謗する者に対しては、5年以下の懲役から死刑までの刑を執行できる。また違反者が在籍している学校は違反者を退学処分できる。などを内容としている。1号と4号は74年8月23日に解除された。前掲書504ページ
  3. ^ 「民主回復國民宣言」大會 各界代表71명 50余명參席(「民主回復国民宣言」大会 各界代表71名 50余名参席 (PDF) .東亜日報1974年11月27日1面
  4. ^ 民主회복國民會議 창립總會(民主回復国民会議創立総会) (PDF) .東亜日報1974年12月25日1面
  5. ^ 緊急措置9号は1975年5月22日に宣布された措置で、1.流言飛語の捏造・流布と事実歪曲や伝播行為の禁止、2.集会・デモ・新聞・放送・通信によって憲法否定や廃止の請願する行為の禁止、3.いっさいの集会やデモ・政治的勧誘行為の禁止(授業や研究、事前の許可を受けたものは除く)、4.同措置に対する誹謗行為禁止、5.禁止・違反の内容を報道・放送などで伝播、その内容の刊行物を制作あるいは所持する行為の禁止、6.同措置違反者と所属する学校や団体・事業体に対する除籍・廃止・免許取消などの権限を司法部長官に付与、7.同行為の命令や措置は司法審査の対象とはならず、違反者は令状なしで逮捕できた。この措置はこれまでの緊急措置の集大成といえ、朴正煕大統領が1979年10月26日に暗殺された後の1979年12月7日に解除された。この間800名を超す人が拘束され、「全国土の監獄化」「全国土の囚人化」という流行語が生まれたほどであった。前掲書507ページ
  6. ^ 50여명參席「民主回復國民宣言」大會各界代表71명”. 東亜日報 (1974年11月27日). 2022年8月12日閲覧。

参考文献 編集

関連項目 編集