水無瀬信成

鎌倉時代前期から中期の廷臣・公卿。正三位・参議、左中将。勅撰集『続後撰和歌集』『風雅和歌集』に3首入集。水無瀬家3代。子に水無瀬信氏(次男)、親源、信弁。
 
水無瀬信成
時代 鎌倉時代前期 - 中期
生誕 建久8年(1197年
死没 弘長2年(1262年
官位 正三位参議左中将
主君 後鳥羽上皇土御門天皇順徳天皇仲恭天皇後堀河天皇四条天皇
氏族 水無瀬家
父母 父:藤原親兼、母:宜秋門院女房備前[1]
養父:坊門忠信[2]
兄弟 信成、親忠、坊門親仲、信弘、顕親、全親、久我通光[3]
吉田定経の娘
親成信氏、任快、親源、信弁
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水無瀬 信成(みなせ のぶしげ/のぶなり)は、鎌倉時代前期から中期にかけての公卿権中納言藤原親兼の子。大納言坊門忠信の養子。官位正三位参議左中将

経歴編集

以下、『公卿補任』と『尊卑分脈』の内容に従って記述する。

『後鳥羽院宸翰御手印御置文』を託される編集

後鳥羽院が隠岐で崩御する直前に認めた置文を託され、後鳥羽院崩御後に現在は水無瀬神宮となっている場所に親成と共に御影堂を建立して後鳥羽院の菩提を弔ったことで知られる。この置文は国宝として水無瀬神宮に収蔵されていることで知られる。

系譜編集

脚注編集

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  1. ^ 源盛親の娘。『尊卑文脈』では源盛保の娘。
  2. ^ 後鳥羽院の命により、坊門忠信の子となった。
  3. ^ 後に入道大炊助親秀に嫁した。
  4. ^ 院御給。
  5. ^ 院当年御給。
  6. ^ 前月の2月20日に後鳥羽院が隠岐で崩御したため。

参考文献編集