永石 光次(ながいし みつじ)は、大日本帝国海軍軍人。最終階級は海軍大佐。勲五等瑞宝章[1]。
佐賀県出身。母方の従兄は陸軍中将の宝蔵寺久雄[注 1]。佐世保海兵団に所属し[2]、横須賀、土浦、三重県香良洲にて勤務し、満州事変、支那事変、大東亜戦争とそれぞれ戦地に赴任した[1]。対馬、安宅や足柄などの艦船に乗り組む一方、予科練教官も務めた[1]。