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歴史編集

寺の創建は慶長16年(1611年)で、開山は了現。開基は 大坂の陣[1]での戦いなどで著名な戦国武将・後藤基次(又兵衛)という[2]

開山の了現は、俗名を後藤又兵衛[3]永秀といい、又兵衛基次の三男で元は浪人であったが、京都で出家し僧になったと伝えられる。

寺は、開山より第2代住職・了誓までは熊本城下の坪井に置かれていたが、万治元年(1658年)、洪水のため寺が流失。6年後の寛文4年(1664年)、第3代住職・霖雪のとき、馬場村の後藤久右衛門基房の求めに応ずる形で現在の地へと移った。その後、後藤久右衛門の子で3代・霖雪の養子となった龍顔が住職を継ぎ第4代となった。

寺は、明治維新前後に零落したが、その後、第13代住職・普行が寺勢を拡大し、中興した。

歴代住持[4]編集

  • 開山 - 了現
  • 第2世 - 了誓
  • 第3世 - 霖雪
  • 第4世 - 龍顔(了玄)
  • 第5世 - 了春
  • 第6世 - 周見
  • 第7世 - 昌安
  • 第8世 - 皆遵
  • 第9世 - 玉林
  • 第10世 - 大円
  • 第11世 - 顕浄
  • 第12世 - 自顕
  • 第13世 - 普行
  • 第14世 - 誓乗
  • 第15世 - 香頂
  • 第16世 - 誓香
  • 第17世 - 真一

所在地編集

熊本県阿蘇郡高森町大字芹口1711

交通編集

高森町民バス草部南部線吉見神社前バス停から徒歩約15分

周辺編集

注釈編集

  1. ^ 基次は慶長20年(1615年)の大坂夏の陣で討死するが、開基はその4年前となる。
  2. ^ 『日本名刹大事典』44頁
  3. ^ つまり、父と同じ通称「又兵衛」を称していたこととなる。
  4. ^ 『高森町史』835頁による

参考文献編集

  • 熊本県教育会阿蘇郡支会編『阿蘇郡誌』(熊本県教育会阿蘇郡支会,1926)365頁
  • 高森町史編さん委員会編『高森町史』(高森町,1979)834-835頁
  • 圭室文雄編『日本名刹大事典』(雄山閣出版,1992)44頁

外部リンク編集

  • 永秀寺 観光・文化財 観光情報 / 熊本県阿蘇郡 高森町ホームページ