汝寧府(じょねいふ)は、中国にかつて存在した元代から民国初年にかけて、現在の河南省駐馬店市一帯に設置された。

河南省の汝寧府の位置(1820年)

概要

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1293年至元30年)、元により蔡州が汝寧府に昇格した。汝寧府は河南江北等処行中書省に属し、直属の汝陽上蔡西平確山遂平の5県と潁州に属する太和沈丘潁上の3県と息州に属する新蔡真陽の2県と光州に属する定城固始光山の3県と信陽州に属する信陽羅山の2県、合わせて5県4州州領10県を管轄した[1]

のとき、汝寧府は河南省に属し、直属の汝陽・真陽・上蔡・新蔡・西平・確山・遂平の7県と信陽州に属する羅山県と光州に属する光山・固始・商城の4県、合わせて2州12県を管轄した[2]

のとき、汝寧府は河南省に属し、汝陽・正陽・上蔡・新蔡・西平・確山・遂平・羅山・信陽州の1州8県を管轄した[3]

1913年中華民国により汝寧府は廃止された。

脚注

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  1. ^ 元史』地理志二
  2. ^ 明史』地理志三
  3. ^ 清史稿』地理志九