池田孝 (政治家)

日本の政治家

池田 孝(いけだ たかし、1944年昭和19年)9月12日[1] - )は、日本政治家。元鹿児島県曽於市長(2期)。

来歴 編集

鹿児島県立末吉高等学校卒。末吉町議会議員、同町長となる[2]

末吉町は財部町大隅町と合併し、2005年に曽於市となった。合併後の市長選挙に立候補し初当選した[3]。1期目は合併で肥大化した行政組織の改革、財政力の強化に着手した[2]。学識経験者や市民代表を交えた行政改革推進委員会を開き、10年間で120余人の職員削減を打ち出した。答申に沿って、4年間で約60人の削減を実現させ、財政力指数、経常収支比率、公債費比率などの指標は軒並み改善された[2]。これにより20数億円の改善効果を生じた。2009年に元共産党市議の五位塚剛を破って再選[4]

2期目には隣の宮崎県口蹄疫の感染疑い例が発覚し、その対応に追われた[5]

2013年の市長選挙では池田が建設を進めていた公園整備事業が争点となり[6]、再び立候補した五位塚に敗れた[7]

2020年旭日小綬章を受章した[8]

脚注 編集

参考文献 編集