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池田斉邦

池田 斉邦(いけだ なりくに、天明7年2月18日1787年4月6日) - 文化4年7月9日1807年8月12日))は、因幡鳥取藩7代藩主。鳥取藩池田家宗家9代。

6代藩主池田治道の長男。母は側室の三宅氏(於三保の方)。幼名秀三郎、のち銀之進と名乗る。初名は昭邦(てるくに)[1]。官位は従四位下、侍従、相模守。

生涯編集

鳥取城で生まれる。1歳年下の弟・永之進(後の斉稷)との間に家督相続争いが起こったが、佐々木磯右衛門事件の後、父・治道より正式に世嗣と認められ、昭邦と名乗る。寛政8年(1796年)、薩摩藩9代藩主島津斉宣の長女・操姫と婚約する。しかし、のちに婚姻前に斉邦が没したため流縁となった。寛政10年(1798年)、父・治道の死去に伴い家督を相続する。寛政12年(1800年)、11代将軍徳川家斉の面前で元服、家斉の偏諱を受け斉邦に改名。従四位下を叙任する。

斉邦は若年ながら質素倹約、文武奨励を図り、老中松平定信・薩摩藩8代藩主島津重豪より賞された。

文化4年(1807年)7月9日に死去した。享年21。家督を弟の道稷(斉稷)が継いだ。法号は真證院殿徳應義榮大居士。墓地は鳥取藩主池田家墓所。菩提寺は龍峯山興禅寺

脚注編集

参考文献編集

  • 財団法人史跡鳥取藩主池田家墓所保存会/作成『史跡 鳥取藩主池田家墓所』(2006年3月31日刊行)