池谷(いけがや、いけのがや、いけや、いけのや、いけたに、いけのたに)は日本の氏族のひとつ。本家がある静岡県に最も多い。

池谷(いけがや)家
丸に左三つ巴
本姓 池谷(いけがや)
家祖 池谷(いけがや)
出身地 静岡県
主な根拠地 遠江国
武蔵国
著名な人物 池谷清右衛門
池谷重兵衛
池谷博
池谷裕二
凡例 / Category:日本の氏族

概要

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「池谷」の名字は三方ヶ原の戦いにおいて徳川家康が戦の追手から逃れていたのを農家であった、後の池谷家が、偶然その時育てていた萱の中に隠して助けたことで徳川家康から報奨として与えられた名字である。名字の語源は「生かす萱(かや)」であり、そこから「生萱(いけかや)」→「池谷(いけかや)」→読み方がなまって「池谷(いけがや)」と変化した。読み方や漢字も派生してうまれ、池ヶ谷、池ノ谷などの名字もあるがそれらは分家であり、あくまでも本家は静岡県にある池谷(いけがや)家である。また、名字を授かる前は静岡県あたりの大地主であったが、名字を授かってからは、武家の家系である。焼津市の市指定文化財徳川家康公床机据え跡によると、徳川家康鷹狩の際、旧大井川町の宋高代官池谷清右衛門家で休憩したとの記録があることから、17世紀には池谷の字は使われていた。また、港北区史では、江戸時代横浜市綱島地区で鷹狩の役職である野廻り役池谷重兵衛が選ばれ苗字帯刀を許されたと記されている。また代々弓術の名家であり、徳川家に弓術の指南も任されており、江戸幕府御家人に取り立てられた者もいる。報奨として江戸幕府から直々に弓や弓道場や蔵などを名字も含めて授かっている。

幕末の静岡や神奈川の記録では、勝海舟の協力者として商家や旗本などにも池谷氏が散見される。明治に入ると、港湾設備を多く抱える土地柄、また、勝海舟の影響等もあり、土木・建築等の留学生の名目で、池谷氏の中にはアメリカ合衆国など海外へ渡航する者もいた。

参考文献

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  • 横浜開港資料館行政文献資料
  • 横浜市立図書館港北区史