河内王(かわちおう、生没年不詳)は、奈良時代の皇族。官位は正五位下・丹後守。
聖武朝の天平9年(737年)无位から従五位下に直叙される。
天平宝字2年(758年)淳仁天皇の即位に際して、奉幣を行うために、散位・中臣池守らとともに伊勢太神宮に派遣された(この時の官職は左大舎人頭)[1]。天平宝字3年(759年)22年振りに昇叙されて従五位上になると、天平宝字4年(760年)義部大輔、天平宝字6年(762年)丹後守に任ぜられている。しかし、天平宝字8年(764年)に発生した藤原仲麻呂の乱に連座したらしく官位を剥奪される。
宝亀元年(770年)光仁天皇の即位に伴って従五位上に復されると、宝亀3年(772年)には正五位下に叙せられた。
『続日本紀』による。