皇族

既婚の女子を除く天皇の親族の総称

皇族(こうぞく、: Imperial Family)は、皇帝の一族、あるいは日本天皇親族のうち、既婚女子を除く男系嫡出血族およびその配偶者の総称[2]。すなわち、三后皇后太皇太后皇太后)、親王親王妃内親王王妃女王および天皇の退位等に関する皇室典範特例法の規定するところの上皇后の総称である。天皇及び同法の規定するところの上皇は、皇族には含まれない[3]。天皇及び上皇を含む場合は、皇室という。本項目では特筆のない限り、日本の皇族について記載する。

皇族旗(親王旗・親王妃旗・内親王旗・旗・王妃旗・女王旗)[1]

概要編集

日本国憲法第二条
皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する。
皇室典範第五条
皇后太皇太后皇太后親王親王妃内親王王妃及び女王を皇族とする。
同第六条
嫡出の皇子及び嫡男系嫡出の皇孫は、男を親王、女を内親王とし、三世以下の嫡男系嫡出の子孫は、男を王、女を女王とする。
天皇の退位等に関する皇室典範特例法第四条第一項
上皇の后は、上皇后とする。

現在は、国会が定めた法律・皇室典範(こうしつてんぱん)によってその範囲を規定された、皇統に属する天皇の一族を皇族とする。

皇族には天皇のみ含めず、天皇と皇族を合わせた全体を皇室という。

この内、皇后、皇太后、皇太子、皇太子妃などとその独立していない子女の「内廷」に属する皇族は「内廷皇族(ないていこうぞく)」と呼ばれ、内廷から独立した宮家に属する皇族は「内廷外皇族(ないていがいこうぞく)」または「宮家皇族(みやけこうぞく)」と呼ばれる。

非嫡出子は皇族とされない。天皇の母方の血族や姻族に関しては特別の規定がなく、民法の規定により、天皇の外戚の内、皇后から3親等内の者が天皇の姻族となる。天皇の姻族は皇族ではないが、民法上は天皇の親族である。このように「皇族=天皇の親族・血族である者全員」というわけではない。皇族以外の親族には下記「#特有事項(一般国民と皇族の差異)」は該当しないが、近親婚の禁止等の規制等は適用される。

天皇又は親王・王の嫡出の子女として生まれた者以外が皇族となることができるのは、女子が天皇・親王・王のいずれかと結婚する場合(すなわち皇后・親王妃・王妃になる場合)のみに限られる(皇室典範15条)。

また、各皇族個人に対して用いられる敬称として、「陛下(へいか)」と「殿下(でんか)」の2つがある。

以下、身位別該当者人数は2020年(令和2年)4月1日現在のものである(詳細後述)。

皇后(こうごう)
性別:女
天皇の后。
皇室典範に定められた敬称は「陛下」(皇室典範第23条)。
成人であれば摂政に就任しうるものとされる(第17条)。
崩御後はに葬られる(27条)。
立后には皇室会議の議を経ることが必要である(10条)。
すでに皇位継承者の妃である場合、夫の即位に伴って皇后となる。
崩御した際には、「○○皇后」と追号されるのが慣例となっている[4]
該当者:1名 – 雅子
上皇后(じょうこうごう)
性別:女
上皇の后(天皇の退位等に関する皇室典範特例法第4条第1項)。
皇太后の例に倣うため、敬称は「陛下」を用いる。
摂政に就任しうるものとされる。
該当者:1名 – 美智子
太皇太后(たいこうたいごう)
性別:女
先々代の天皇の皇后。
摂政に就任しうるものとされる(皇室典範第17条)。
敬称は「陛下」を用いる(第23条)。
太皇太后を葬るところは陵と称する(第27条)。
現在該当者はいない。
皇太后(こうたいごう)
性別:女
先代の天皇の皇后。
敬称は「陛下」を用いる(皇室典範第23条)。
皇太后を葬るところは陵と称する(第27条)。
摂政に就任しうるものとされる(第17条)。
現在該当者はいない。
親王(しんのう)
性別:男
皇位継承資格を有する(日本国憲法第2条皇室典範第1条)。
皇位継承順位は皇室典範第2条に定められる。
天皇の嫡出皇子(正妻の皇子:皇男子)および天皇の嫡男系嫡出の皇孫男子(6条)、又は天皇の皇兄弟(7条)。皇太子皇太孫も含まれる。
敬称は「殿下」
摂政に就任しうるものとされる(第17条)。
天皇・皇太子の息子である場合、さらに「○宮」の御称号が与えられる。
王が皇位を継承したときは、その兄弟たる王を親王とする(7条)。
該当者:3名 – 秋篠宮文仁親王悠仁親王常陸宮正仁親王
親王妃(しんのうひ)
性別:女
親王の妃。皇太子妃皇太孫妃も含まれる。
敬称は「殿下」
親王妃は夫である親王が皇位を継承した場合、これに伴って皇后になる。
親王妃が成婚前より内親王又は女王であった場合は、成婚後も皇后となるまでは、引き続き元来の身位(内親王又は女王)を併存(保持)する。
該当者:5名 – 文仁親王妃紀子正仁親王妃華子崇仁親王妃百合子寛仁親王妃信子憲仁親王妃久子
内親王(ないしんのう)
性別:女
天皇の嫡出の皇女および天皇の嫡男系嫡出の皇孫女子(第6条)、又は天皇の皇姉妹(第7条)。
敬称は「殿下」
摂政に就任しうるものとされる(第17条)。
天皇・皇太子の娘である場合、さらに「○宮」の御称号が与えられる。
親王又は王と結婚した場合は、成婚後も皇后となるまでは、引き続き元来の身位を併存(保持)する。
王が皇位を継承したときは、その姉妹である女王を内親王とする。
該当者:3名 – 敬宮愛子内親王眞子内親王佳子内親王
元該当者(第12条による皇籍離脱):5名 - 黒田清子(紀宮清子内親王)、池田厚子(順宮厚子内親王)、島津貴子(清宮貴子内親王)、近衛甯子(甯子内親王)、千容子(容子内親王)
(おう)
性別:男
皇位継承資格を有する(日本国憲法第2条皇室典範第1条)。
皇位継承順位皇室典範第2条に定められる。
天皇の嫡男系嫡出で三親等以上(曽孫以下)離れた皇族男子(傍系でなく直系尊属の天皇から数える)。
敬称は「殿下」
摂政に就任しうるものとされる(第17条)。
現行典範下では一人も出生していない。
王は、皇位の継承によって嫡出の皇子または嫡男系嫡出の皇孫となった場合、あるいは王の兄弟である王が皇位を継承した場合、親王に身位が変更される(皇室典範第6条皇室典範第7条)。
現在該当者はいない。
王妃(おうひ)
性別:女
王の妃。
敬称は「殿下」
王妃は夫である王が親王に身位が変更された場合は親王妃に、皇位を継承した場合は皇后になる。
王妃が結婚前より内親王又は女王であった場合は、結婚後も皇后となるまでは、引き続き元来の身位(内親王又は女王)を併存(保持)する。
現在該当者はいない。
女王(じょおう)
性別:女
天皇の嫡男系嫡出で三親等以上(曽孫以下)離れた皇族女子。
敬称は「殿下」
摂政に就任しうるものとされる。
親王又は王と結婚した場合は、結婚後も皇后となるまでは、引き続き元来の身位を併存(保持)する。
女王は、皇位の継承によって嫡出の皇子または嫡男系嫡出の皇孫となった場合、あるいは女王の兄弟たる王が皇位を継承した場合、内親王に身位が変更される。
該当者:3名 – 彬子女王瑤子女王承子女王
元該当者(第12条による皇籍離脱):2名 - 千家典子(典子女王)、守谷絢子(絢子女王)

皇族の身分の離脱編集

  • 満15歳以上の内親王・王・女王は、本人の意志に基づき、皇室会議の承認を得ることにより、皇族の身分を離脱できる(皇室典範11条1項)。
  • 皇太子・皇太孫を除く親王・内親王・王・女王は、やむを得ない特別の事由があるときは、本人の意思にかかわらず、皇室会議の判断で、皇族の身分を離れる(皇室典範11条2項)。
  • 皇族女子は、天皇・皇族以外の者と結婚したときは、皇族の身分を離れる(皇室典範12条)。
  • (1)皇族の身分を離れる親王・王の妃 (2)皇族の身分を離れる親王・王の子孫 (3)皇族の身分を離れる親王・王の子孫の妃は、その親王・王と同時に皇族の身分を離れる(他の皇族と婚姻した女子とその子孫を除く)。但し、(2)と(3)の皇族の身分を離れる親王・王の子孫とその妃については、皇室会議の判断で、皇族の身分を離れないものとすることができる(皇室典範13条)。
  • 皇族以外の女子で親王妃又は王妃となった者が、その夫を失って未亡人(寡妃)となったときは、本人の意思により、皇族の身分を離脱できる。また、この場合、やむを得ない特別の事由があるときは、本人の意思にかかわらず、皇室会議の判断で、皇族の身分を離れる(皇室典範14条1, 2項)。なお、皇太后や太皇太后は皇籍離脱をすることができない。
  • 皇族以外の女子で親王妃又は王妃となった者が、離婚したときは、皇族の身分を離れる(皇室典範14条3項)。なお、皇后や上皇后は離婚をすることができない。
  • 皇族の身分を離れた親王・王の子孫で他の皇族と結婚した女子が、その夫を失って未亡人となったときは、本人の意思により、皇族の身分を離脱できる。この場合、やむを得ない特別の事由があるときは、本人の意思にかかわらず、皇室会議の判断で、皇族の身分を離れる。また、この者が離婚したときは、皇族の身分を離れる(皇室典範14条4項)。

現在の皇族一覧編集

2020年(令和2年)4月1日現在の皇族は、以下の16名である。班位は、戦前の皇族身位令に準じる。ただし、兄弟姉妹間では出生の順による。

なお、徳仁(第126代天皇)及び明仁上皇)を含む皇室構成員は、18名。

班位 読み 身位 続柄 世数 敬称 宮号 称号 生年月日 年齢 皇位継承 摂政就任 勲等勲章
[5] 順位 順位
01 雅子 まさこ 1皇后 親等98/ 陛下   (1963-12-09) 1963年12月9日 56歳   03位 勲一等宝冠章 内廷皇族
02 美智子 みちこ 1上皇后[6] 親等97/ 陛下     (1934-10-20) 1934年10月20日 86歳 04位 勲一等宝冠章 内廷皇族
03 愛子 あいこ 5内親王 親等1/皇女 1一世 殿下   敬宮 (2001-12-01) 2001年12月1日 18歳 未成年   内廷皇族
04 文仁 ふみひと 4親王 親等2/皇弟 1一世 殿下 秋篠宮 礼宮 (1965-11-30) 1965年11月30日 54歳 第1位 01位 大勲位菊花大綬章 宮家皇族
05 紀子 きこ 8親王妃 親等99/文仁親王妃 殿下 (秋篠宮) (1966-09-11) 1966年9月11日 54歳     勲一等宝冠章 宮家皇族
06 眞子 まこ 5内親王 親等3/皇姪 2二世 殿下 (秋篠宮) (1991-10-23) 1991年10月23日 29歳 第5位 宝冠大綬章 宮家皇族
07 佳子 かこ 5内親王 親等3/皇姪 2二世 殿下 (秋篠宮)   (1994-12-29) 1994年12月29日 25歳 06位 宝冠大綬章 宮家皇族
08 悠仁 ひさひと 4親王 親等3/皇甥 2二世 殿下 (秋篠宮)   (2006-09-06) 2006年9月6日 14歳 第2位 (未成年)   宮家皇族
09 正仁 まさひと 4親王 親等3/皇叔父 1一世 殿下 常陸宮 義宮 (1935-11-28) 1935年11月28日 84歳 第3位 02位 大勲位菊花大綬章 宮家皇族
10 華子 はなこ 8親王妃 親等99/正仁親王妃 殿下 (常陸宮) (1940-07-19) 1940年7月19日 80歳     勲一等宝冠章 宮家皇族
11 百合子 ゆりこ 8親王妃 親等99/崇仁親王 殿下 三笠宮 (1923-06-04) 1923年6月4日 97歳     勲一等宝冠章 宮家皇族
12 信子 のぶこ 8親王妃 親等99/寬仁親王 殿下 (三笠宮) (1955-04-09) 1955年4月9日 65歳     勲一等宝冠章 宮家皇族
13 彬子 あきこ 7女王 親等6/皇再従妹 3三世 殿下 (三笠宮) (1981-12-20) 1981年12月20日 38歳   07位 勲二等宝冠章 宮家皇族
14 瑶子 ようこ 7女王 親等6/皇再従妹 3三世 殿下 (三笠宮) (1983-10-25) 1983年10月25日 37歳   08位 勲二等宝冠章 宮家皇族
15 久子 ひさこ 8親王妃 親等99/憲仁親王 殿下 高円宮 (1953-07-10) 1953年7月10日 67歳     勲一等宝冠章 宮家皇族
16 承子 つぐこ 7女王 親等6/皇再従妹 3三世 殿下 (高円宮) (1986-03-08) 1986年3月8日 34歳   09位 宝冠牡丹章 宮家皇族

皇統譜には、宮号と称号は登録されない(宮内庁告示の形式によって官報で公表はされる)。

なお、宮号は天皇がその親王・王個人に下し本人のみが称するものであり、当該親王・王の妃や子女等自らの宮号としてこれを称することはない(例えば、眞子内親王は宮号を賜っていない)。

ただし、上表では妃や子女等についても便宜のため括弧書きしている。

系図編集

 
 
 
 
 
 
 
 
現在の
天皇・上皇
 
現在の皇族
 
皇籍を離脱し生存する者
 
崩御・薨去した天皇・皇族
 
皇籍離脱後、逝去した者
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
大正天皇
 
貞明皇后
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
昭和天皇
 
香淳皇后
 
秩父宮
雍仁親王
 
勢津子
 
高松宮
宣仁親王
 
喜久子
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
三笠宮
崇仁親王
 
百合子
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
東久邇成子
(照宮)
 
久宮
祐子内親王
 
鷹司和子
(孝宮)
 
池田厚子
(順宮)
 
明仁
(上皇)
 
美智子
 
常陸宮
正仁親王
 
華子
 
島津貴子
(清宮)
 
近衞甯子
 
寬仁親王
 
信子
 
桂宮
宜仁親王
 
千容子
 
高円宮
憲仁親王
 
久子
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
徳仁
(天皇)
 
雅子
 
秋篠宮
文仁親王
 
紀子
 
黒田清子
(紀宮)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
彬子女王
 
瑶子女王
 
 
 
 
 
承子女王
 
千家典子
 
守谷絢子
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
敬宮
愛子内親王
 
 
 
眞子内親王
 
佳子内親王
 
悠仁親王
 
 
 
 
 

皇族の呼称編集

皇族の呼称は、内閣告示宮内庁告示や官報の皇室事項欄では、歌会始などの特別な場合を除き、次のようになっている。宮号や称号が表記されないことに注意が必要である。

  • 皇后・太皇太后・皇太后:「皇后陛下」- 身位+敬称の順。
  • 皇太子:「皇太子徳仁親王殿下」-「皇太子」+名+身位+敬称の順。
  • 皇太子妃:「皇太子徳仁親王妃雅子殿下」-「皇太子」+夫の名+夫の身位+「妃」+名+敬称の順。
  • 親王・内親王・王・女王:「愛子内親王殿下」、「悠仁親王殿下」- 名+身位+敬称の順。
  • 親王妃・王妃については、「正仁親王妃華子殿下」と、夫の名+夫の身位+「妃」+名+敬称の順。
  • 皇族が「崩御」ないし「薨去」した後は、「故皇太后」や「故宣仁親王妃喜久子」と、上記に「故」が冠され敬称が省かれる。
  • 夫が「薨去」して未亡人となった場合でも、親王妃や王妃の呼称については「憲仁親王妃久子殿下」と、夫の名に「故」を冠さない。
    • 法律や叙勲においては、「皇太子徳仁親王の結婚の儀の行われる日を休日とする法律」など、敬称は省かれる。

宮内庁のウェブサイトや尊皇関係の書物においての呼称は以下のようになっている。(上記と多少異なる)

  • 皇后・太皇太后・皇太后には、身位+敬称で「皇后陛下」や「皇太后陛下」など。
  • 皇太子や宮号を持つ男性皇族には、身位か宮号+敬称(「皇太子殿下」や「常陸宮殿下」など)。
  • 御称号を有する皇族には、御称号+敬称(「敬宮殿下」など)。
  • 宮号などを有さない男性皇族や未婚の女性皇族には、名前+身位+敬称(「悠仁親王殿下」や「彬子女王殿下」など)。
  • 既婚の女性皇族(親王妃・王妃)には、夫の名前+夫の身位+「妃」+敬称(「寬仁親王妃殿下」など)、夫の宮号かそれに値する身位+「妃」+敬称(「皇太子妃殿下」や「常陸宮妃殿下」など)。
  • 崩御/薨去した皇族に追号がある場合は「故・皇太后陛下」などではなく「香淳皇后」となる。

皇族の班位(はんい)は、ほぼ戦前の皇族身位令に準じるものとなっているが、兄弟姉妹間では、女子よりも男子を優先する場合と、男女関わらず出生順による場合とが見られる。

前者の例として、昭和41年(1966年)の歌会始において寬仁親王(弟) → 甯子内親王(姉)の席次順となっている。

後者の例としては、昭和52、53年(1977年1978年)の歌会始において容子内親王(姉) → 憲仁親王 (弟)の席次順となっている。

昭和58年(1983年)の容子内親王(千容子)の結婚による皇籍離脱(降嫁)後は、成年皇族間で順位の逆転が発生したこと自体がないため、近年の取り扱いは不明である。

歴史上の男性皇族一覧編集

現在の元皇族の一覧編集

2020年(令和2年)4月1日現在
日本における元皇族の女性(皇室典範第12条[7]による皇籍離脱をした内親王及び女王)[8][9][10]
姓名 読み 御称号 皇族としての
名・身位
生年月日 現年齢 天皇から見た続柄 / 皇統
1 黒田清子1 くろだ さやこ 紀宮(のりのみや) 清子内親王 1969年(昭和44年)4月18日 51歳 皇妹 / 第125代天皇上皇第一皇女子
2 池田厚子2 いけだ あつこ 順宮(よりのみや) 厚子内親王 1931年(昭和6年)3月7日 89歳 皇伯母 / 昭和天皇第四皇女子
3 島津貴子3 しまづ たかこ 清宮(すがのみや) 貴子内親王 1939年(昭和14年)3月2日 81歳 皇叔母 / 昭和天皇第五皇女子
4 近衞甯子4 このえ やすこ 甯子内親王 1944年(昭和19年)4月26日 76歳 大正天皇の皇孫/ 三笠宮崇仁親王第一女子
5 千容子5 せん まさこ 容子内親王 1951年(昭和26年)10月23日 69歳 大正天皇の皇孫/ 三笠宮崇仁親王第二女子
6 千家典子6 せんげ のりこ 典子女王 1988年(昭和63年)7月22日 32歳 皇再従妹 / 大正天皇の皇曾孫/
高円宮憲仁親王第二女子
7 守谷絢子7 もりや あやこ 絢子女王 1990年(平成2年)9月15日 30歳 皇再従妹 / 大正天皇の皇曾孫/
高円宮憲仁親王第三女子

規模の推移編集

上述の通り、人数は天皇を除いたものを記載する。

日時 概要 増減 人数
1947年(昭和22年)10月14日 11宮家51名
(詳細は「旧皇族#離脱した51名の一覧」)
皇籍離脱 -51 15人
1948年(昭和23年)02月11日 宜仁親王(桂宮宜仁親王 誕生 +1 16人
1950年(昭和25年)05月21日 孝宮和子内親王(鷹司和子 皇籍離脱(皇室典範第12条 -1 14人
1951年(昭和26年)05月17日 貞明皇后 崩御 -1 15人
1951年(昭和26年)10月23日 容子内親王(千容子 誕生 +1 15人
1952年(昭和27年)10月10日 順宮厚子内親王(池田厚子 皇籍離脱(皇室典範第12条 -1 14人
1953年(昭和28年)01月04日 秩父宮雍仁親王 薨去 -1 13人
1954年(昭和29年)12月29日 憲仁親王(高円宮憲仁親王 誕生 +1 14人
1959年(昭和34年)04月10日 皇太子明仁親王妃美智子(上皇后美智子、旧姓名:正田美智子) 婚姻 +1 15人
1960年(昭和35年)02月23日 浩宮徳仁親王(徳仁、第126代天皇、今上天皇) 誕生 +1 16人
1960年(昭和35年)03月10日 清宮貴子内親王(島津貴子 皇籍離脱(皇室典範第12条 -1 15人
1964年(昭和39年)09月03日 正仁親王妃華子(旧姓名:津軽華子) 婚姻 +1 16人
1965年(昭和40年)11月30日 礼宮文仁親王(秋篠宮文仁親王 誕生 +1 17人
1966年(昭和41年)12月18日 甯子内親王(近衛甯子 皇籍離脱(皇室典範第12条 -1 16人
1969年(昭和44年)04月18日 紀宮清子内親王(黒田清子 誕生 +1 17人
1980年(昭和55年)11月07日 寛仁親王妃信子(旧姓名: 麻生信子) 婚姻 +1 18人
1981年(昭和56年)12月20日 彬子女王 誕生 +1 19人
1983年(昭和58年)10月14日 容子内親王(千容子 皇籍離脱(皇室典範第12条 -1 18人
1983年(昭和58年)10月25日 瑶子女王 誕生 +1 19人
1984年(昭和59年)12月06日 憲仁親王妃久子(旧姓名:鳥取久子) 婚姻 +1 20人
1986年(昭和61年)03月08日 承子女王 誕生 +1 21人
1987年(昭和62年)02月03日 高松宮宣仁親王 薨去 -1 20人
1988年(昭和63年)07月22日 典子女王(千家典子 誕生 +1 21人
1989年(昭和64年)01月07日 皇太子明仁親王(明仁、第125代天皇、上皇 即位皇位継承 -1 20人
1990年(平成02年)06月29日 文仁親王妃紀子(旧姓名:川嶋紀子) 婚姻 +1 21人
1990年(平成02年)09月15日 絢子女王(守谷絢子 誕生 +1 22人
1991年(平成03年)10月23日 眞子内親王 誕生 +1 23人
1993年(平成05年)06月09日 皇太子徳仁親王妃雅子(皇后雅子、旧姓名:小和田雅子) 婚姻 +1 24人
1994年(平成06年)12月29日 佳子内親王 誕生 +1 25人
1995年(平成07年)08月25日 雍仁親王妃勢津子 薨去 -1 24人
2000年(平成12年)06月16日 香淳皇后 崩御 -1 23人
2001年(平成13年)12月01日 敬宮愛子内親王 誕生 +1 24人
2002年(平成14年)11月21日 高円宮憲仁親王 薨去 -1 23人
2004年(平成16年)12月18日 宣仁親王妃喜久子 薨去 -1 22人
2005年(平成17年)11月15日 紀宮清子内親王(黒田清子) 皇籍離脱(皇室典範第12条 -1 21人
2006年(平成18年)09月06日 悠仁親王 誕生 +1 22人
2012年(平成24年)06月06日 寛仁親王 薨去 -1 21人
2014年(平成26年)06月08日 桂宮宜仁親王 薨去 -1 20人
2014年(平成26年)10月05日 典子女王(千家典子 皇籍離脱(皇室典範第12条 -1 19人
2016年(平成28年)10月27日 三笠宮崇仁親王 薨去 -1 18人
2018年(平成30年)10月29日 絢子女王(守谷絢子 皇籍離脱(皇室典範第12条 -1 17人
2019年(令和元年)05月01日 皇太子徳仁親王(徳仁、第126代天皇、今上天皇) 即位(皇位継承 -1 16人

皇位継承編集

皇統に属する男系の男子親王)は皇位継承(こういけいしょう)資格を有する(日本国憲法第2条皇室典範第1条)。

皇位継承順位(こういけいしょうじゅんい)は、皇室典範第2条に規定される。

日本の皇位継承順位令和元年(2019年5月1日 -
順位 皇位継承資格者 読み 性別 生年月日 現年齢 今上天皇から見た続柄 摂政就任順位
   
第1位   秋篠宮文仁親王 あきしののみや ふみひと 男性 1965年11月30日
(昭和40年)
54歳 親等2/弟 / 上皇明仁第2皇男子 第1位
第2位   悠仁親王 ひさひと 男性 2006年09月06日
(平成18年)
14歳 親等3/甥 / 秋篠宮文仁親王第1男子
第3位   常陸宮正仁親王 ひたちのみや まさひと 男性 1935年11月28日
(昭和10年)
84歳 親等3/叔父 / 昭和天皇第2皇男子 第2位

摂政・国事行為臨時代行編集

親王妃・王妃を除く成年皇族は摂政(せっしょう)就任資格と国事行為臨時代行(こくじこういりんじだいこう)就任資格を有する(日本国憲法第4条第5条・皇室典範16条・国事行為の臨時代行に関する法律2条)。

就任委任順序は、皇室典範第17条に規定される。

2020年(令和2年)4月1日現在
日本における摂政就任資格者[摂政就任順位 1][摂政就任順位 2]
順位 名・身位 生年月日 性別 備考 皇位継承
順位
1   秋篠宮文仁親王
皇嗣
1965年昭和40年)11月30日(54歳) 男性 皇室典範第17条1項2号
親王及び
1
2   常陸宮正仁親王 1935年(昭和10年)11月28日(84歳) 男性 3
3   皇后雅子 1963年(昭和38年)12月9日(56歳) 女性 皇室典範第17条1項3号
皇后
4   上皇后美智子 1934年(昭和9年)10月20日(86歳) 女性 皇室典範第17条1項4号
上皇后
5   眞子内親王 1991年(平成3年)10月23日(29歳) 女性 皇室典範第17条1項6号
内親王及び女王
6   佳子内親王 1994年(平成6年)12月29日(25歳) 女性
7   彬子女王 1981年(昭和56年)12月20日(38歳) 女性
8   瑶子女王 1983年(昭和58年)10月25日(37歳) 女性
9   承子女王 1986年(昭和61年)3月8日(34歳) 女性
がいるが、2020年11月23日現在ではいずれも成年に達していないため、未だ就任資格はない[摂政就任順位 3][摂政就任順位 4]

脚注

  1. ^ 2019年(令和元年)5月1日の今上天皇の即位(皇太子徳仁親王の皇位継承)及び皇后雅子(第126代天皇后)の立后以降から現在の対象者。
  2. ^ 摂政”. 宮内庁. 2019年9月15日閲覧。
  3. ^ 皇室典範第17条1項柱書
  4. ^ 悠仁親王の成人は2024年令和6年)9月6日(2004年/平成16年4月1日以降の生まれのため18歳の誕生日)、
    愛子内親王の成人は2021年(令和3年)12月1日(2002年/平成14年4月1日以前の生まれのため20歳の誕生日)の予定である。
    なお、2022年(令和4年)4月1日に予定されている成人年齢引き下げは皇族にも適用される。

一般国民との相違面編集

皇族も、日本国憲法第10条に規定された日本国籍を有する「日本国民」である[11]皇室典範その他の法律により若干の制限はあるものの一般の国民との差異は本来大きいものではない。皇族の参政権は、皇族が戸籍を有しないため(詳細後述)公職選挙法付則により当分の間停止されているだけである。しかし、実態として皇族の権利や自由は大きく制約されている。これは「『皇族という特別な地位にあり、天皇と同じように制限されるべきだ』という考え方が市民の間で根強かったため」であるとされる[12]。このため、一般国民とは異なる取り扱いがなされている面が多くある。

具体的には、事実上、皇族に対しては日本国憲法第3章が一部適用されないということである。

  • 家制度があり家父長制が存在する。
  • 養子をすることができない(皇室典範9条)。
  • 皇族男子の結婚は、皇室会議の承認が必要である(皇室典範10条)。離婚と皇族女子の結婚は承認不要[13]
  • 皇太子・皇太孫の成年は満18歳とされている(皇室典範22条)。それ以外の皇族は民法を準用し満20歳である。直系か傍系かという地位により区別される。
  • 皇后・太皇太后・皇太后は天皇同様「陛下(へいか)」、それ以外の皇族は「殿下(でんか)」の敬称を付する(皇室典範23条)。上皇・上皇后に対しては「陛下」を用いる(天皇の退位等に関する皇室典範特例法第3・4条)。またを持たない。マスメディアでは宮号を使って「**宮さま」「**宮妃*子さま」「**宮家の*仁さま(息子の場合)/(長女・次女)*子さま(娘の場合)」と表現される。これにより、動静は最高敬語を以て報じられる(1947年昭和22年〉8月の旧宮内省と報道各社の取り決めに基づく)。
  • 皇后・太皇太后・皇太后の死は「崩御(ほうぎょ)」、それ以外の皇族の死は「薨去(こうきょ)」と称される。
    • ただしマスコミにおいては、「ご逝去」などの表現も使われる。昭和天皇崩御の際、沖縄県の新聞は「ご逝去」と見出しをつけた。また香淳皇后崩御の際には、「崩御」「ご逝去」と表現がわかれたことがある。
  • 成年皇族は皇室会議の議員・予備議員(各2人・任期4年)の互選人となり、当選すれば議員・予備議員に就任することができる(皇室典範28,30,32条)。
  • 通常の戸籍には登録されず、身分に関する事項は皇統譜(こうとうふ)に登録される(皇室典範26条)。
  • 公職選挙の参政権選挙権被選挙権)が停止されている[14]
  • 住民基本台帳には記録されない(住民基本台帳法39条・同法施行令33条)。
  • 通常の旅券(パスポート)を用いず、皇后を除き、「皇族」という官職名で外交旅券の発給を受ける[15]
  • 国民健康保険に加入する義務・権利がない。医療費は全額自費負担となる。
  • 皇后・太皇太后・皇太后・上皇・上皇后を葬る所のみ「」と呼ばれる。他の皇族を葬る場は「」(皇室典範27条)。
  • 内廷費や、皇族としての品位保持の資に充てるために皇族費が国庫から支出される一方で、財産の賜与(贈与)及び譲受に関して日本国憲法皇室経済法による強い規制がある。生計が政府の丸抱えになるので“極端な形の世襲の国家公務員”だと評する意見がある[16]
  • 内廷には侍従職東宮職がある外、各宮家には、宮務官や侍女長といった側近が付けられている[17]
  • 全ての皇族は、どこに赴く際にも必ず護衛が付く。皇宮警察本部に属する皇宮護衛官東京都内ならば警視庁所轄署、46道府県では警察本部警備部が指揮し所轄の警察官警護する。護衛は皇族の外出先を全て把握し、24時間体制で警護にあたる。都内から他の道府県に赴く際は護衛官がその道府県の護衛担当に連絡を入れる[18]
  • 皇族身位令(旧法、戦後廃止)に準じて叙勲が行われ、戦後でも、成年に達したときや結婚の際に、親王には大勲位菊花大綬章が授けられ、親王妃・内親王には勲一等宝冠章(現、宝冠大綬章)が、王には勲一等旭日桐花大綬章(現、桐花大綬章)が、王妃・女王には勲二等宝冠章(現、宝冠牡丹章)が授けられる。天皇はその即位に際して政府から大勲位菊花章頸飾が譲与される。
  • 信教の自由がない。法令で義務付けられたものではないが、宮中祭祀という宗教行事があるために実質上、皇室構成員全員は神道の信徒である。

宮家編集

宮家(みやけ)とは、日本において、宮号を賜った皇族の一家のことである。

親王およびの家を指すこともある。

宮(みや)とは、元々、天皇および皇族の邸の事を指し、転じて住んでいる皇族のことを指すに至った。

さらに、「○○宮」との称号(宮号)を男系男子孫たる皇族が世襲することが認められるようになった。これが「宮家」と呼ばれるものであり、個別には宮号に応じて「○○宮家」と呼ばれることがある。

ただし、現行法上はいずれも法的な根拠を持つものではない。

「○○宮」の称号は宮家の当主たる(あるいは生前当主であった)親王・王個人の称号であり、その家族は用いない。

宮家のうち天皇の子女や兄弟が創設した宮家を直宮家(じきみやけ)という。

当今の天皇との血統の遠近にかかわらず、代々親王宣下を受けることで親王身位を保持し続けた宮家を世襲親王家(せしゅうしんのうけ)という。

宮家 読み 現当主 創設 創設者 現人数 備考
  秋篠宮 あきしの 文仁親王 1990年(平成02年)06月29日 上皇(第125代天皇明仁)第二皇男子文仁親王 5人 直宮家
  常陸宮 ひたち 正仁親王 1964年(昭和39年)09月30日 昭和天皇第二皇男子正仁親王 2人 直宮家
  三笠宮 みかさ 崇仁親王妃百合子 1935年(昭和10年)12月02日 大正天皇第四皇男子崇仁親王 4人 直宮家
  高円宮 たかまど 憲仁親王妃久子 1984年(昭和59年)12月06日 崇仁親王第三男子憲仁親王 2人

皇室会議編集

皇室会議は、日本皇室に関する重要な事項を合議する国の機関である。皇室典範第28条以下に定められる。

婚姻関係編集

他の事項が皇室会議の「議による」とされるのに対して、これのみ皇室会議の「議を経る」とされる。なお、現皇室典範施行中に独身の天皇はまだいないので、「立后」が議題になった事はない。

皇籍離脱関係編集

議員編集

皇室会議は以下の議員十人でこれを組織する(皇室典範第28条第1項・第2項)。

皇室会議議員
氏名 身分 生年月日(年齢)
  皇嗣文仁親王 皇族 (1965-11-30) 1965年11月30日(54歳)
  正仁親王妃華子 皇族 (1940-07-19) 1940年7月19日(80歳)
  大島理森 衆議院議長 (1946-09-06) 1946年9月6日(74歳)
  赤松広隆 衆議院副議長 (1948-05-03) 1948年5月3日(72歳)
  山東昭子 参議院議長 (1942-05-11) 1942年5月11日(78歳)
  小川敏夫 参議院副議長 (1948-03-18) 1948年3月18日(72歳)
  菅義偉 内閣総理大臣 (1948-12-06) 1948年12月6日(71歳) 議長
  西村泰彦 宮内庁長官 (1955-06-29) 1955年6月29日(65歳)
  大谷直人 最高裁判所長官 (1952-06-23) 1952年6月23日(68歳)
  池上政幸 最高裁判所判事 (1951-08-29) 1951年8月29日(69歳)

役職編集

現在編集

[20]
皇后雅子
秋篠宮文仁親王
文仁親王妃紀子
眞子内親王
常陸宮正仁親王
正仁親王妃華子
崇仁親王妃百合子
寬仁親王妃信子
彬子女王
瑶子女王
  • 一般財団法人国際ユニヴァーサルデザイン協議会総裁
  • 社会福祉法人友愛十字会総裁
憲仁親王妃久子
承子女王

戦前編集

「皇親」と「王氏」編集

701年大宝元年)に制定された大宝令757年天平勝宝9年)に制定された養老令などの律令には、皇族は「皇親」(こうしん)として規定されている。また、2世から4世(後に5世)までの皇族は王氏(わうし、おうし)とも呼ばれた。

律令に定められた皇親には、親王(しんのう、みこ)と(おう)の別がある。特に性別を分ける記述はないが、女性はそれぞれ、内親王(ないしんのう、ひめみこ)、女王(にょおう、じょおう)と称した。親王号は、古くは天皇の子および兄弟姉妹の称であった。後には、天皇の子および兄弟姉妹のうち、親王宣下を受けた者のみに限られるようになった。親王は、天皇から品位(ほんい)を受け、品(ほん)にしたがって国家から給田を受けた。

律令の一つである「官位令」(かんいりょう)によれば、品位には一品(いっぽん)から四品(しほん)までの4段階があり、それぞれ国家から決められた給付を受けた。また、官職を受ける任官においても、八省卿八省の長官)、大宰帥(だざいのそち、大宰府の長官)、一部の大国親王任国)の国司(太守)など、四品以上の親王に留保された官職があり、高官への就任を保障された。一方、品位をもたない無品の親王は無品親王(むほんしんのう)といった。品位を持つ皇族が罪を犯した場合、罰として品位の剥奪が行われることもあった。

皇親の範囲は、「継嗣令」(けいしりょう)の規定では、天皇の四世孫(玄孫、やしゃご)までが皇親とされた。五世孫はを称したが、皇親にはあたらないとされた。後の慶雲3年(706年)2月の(きゃく)で、五世孫までが皇親とされ、五世孫の嫡子に王の称が許された。なお、近代の皇族制度とは異なり、婚姻によって皇親身分を獲得したり喪失したりすることはなかった。したがって、藤原氏の出身である光明皇后のように、皇后であっても臣下の家の出身者は皇親とは認められず、逆に藤原教通に嫁した禔子内親王のように、臣下に降嫁後に皇親として二品の叙位を受けた例も存在する(『扶桑略記』長久2年12月19日条)。

令では、皇親でない者は、天皇からを賜ってに下ると規定されていた。最初の賜姓がいつであったかはさだかでないが、初期の賜姓皇族(姓を賜って臣下となった王の氏族)として橘氏がある。奈良時代聖武天皇の治世である天平8年(736年)、敏達天皇の子孫であった葛城王(橘諸兄)と佐為王(橘佐為)が臣籍降下を申し出て、「橘宿禰」(「橘」が氏(ウヂ)、「宿禰」が姓(カバネ))の氏姓を賜ることを願った。このとき賜った氏姓である「橘宿禰」は、もとは葛城王・佐為王の母である県犬養三千代が賜った氏姓[22]である。平安時代初期以降には、皇親の数を減らして国家の支出を減らす、皇位争いに関する政争を除く、皇室藩屏はんぺいとなる高級貴族を置くなどの目的で、多くの臣籍降下が行われた。

後一条天皇のとき、皇太子敦明親王が皇太子辞退(廃太子)を申し出ると、敦明親王の男子は二世孫(三条天皇の孫)であるにもかかわらず、三条天皇の猶子とされて親王宣下を受け、親王の待遇を受けた。このとき以後、「親王は天皇の子」というルールは厳格に適用されなくなり、天皇の孫より遠い血縁の皇親でも天皇の養子猶子となって親王宣下を受け、親王の待遇を受けることが可能となった。後には、親王宣下を受ける資格が世襲化され、世襲親王家となった。

江戸時代以降、世襲親王家は4家にまとまり、四親王家から構成されるようになった。四親王家とは、伏見宮有栖川宮桂宮(昭和63年創設の桂宮家とは無関係)、閑院宮の4つの宮家である。この4家は、代々の当主である王が、天皇の猶子となり、親王宣下を受けて親王の待遇を受けた。

大日本帝国憲法下での皇族編集

大日本帝国憲法下では、1889年(明治22年)制定の旧皇室典範(きゅうこうしつてんぱん)によってその範囲を規定された、皇統に属する天皇の一族皇族とする。

現在も同様に、天皇は、皇族に含めない。また、天皇と皇族を合わせた全体を皇室といった。

皇族の構成員は、皇后太皇太后皇太后皇太子皇太子妃皇太孫・皇太孫妃・親王親王妃内親王王妃女王である(旧・皇室典範第30条)。また、皇室親族令により、姻族の範囲は3親等内と規定された。

律令制の元で皇親と呼ばれていた呼称に変えて、「皇族」という呼称を採用した。また、旧来は皇后といえども臣下の家に生まれた場合には「皇親」とは認められなかったが、この改正によって皇后・妃なども皇族として扱われるようになった。

現行皇室典範との相違点として、四世孫(皇玄孫)までが親王・内親王とされ、五世孫以下が王・女王とされていた(旧皇室典範第31条)。また、非嫡出子も皇族とされた。

皇族会議編集

旧皇室典範により、成年(皇太子・皇太孫は満18歳、その他の皇族は満20歳)に達した皇族の男子は、皇室内の事項について天皇の諮詢を受ける皇族会議(こうぞくかいぎ)の議員となった。

枢密院編集

1888年明治21年)5月18日の明治天皇による勅命により、成年に達した親王は、枢密院の会議に班列(列席して議事に参加すること)する権利を有した。

貴族院編集

貴族院令により、成年に達した皇族の男子は自動的に帝国議会上院の貴族院における皇族議員となった。だが、皇族が政争に関与すべきではないこと、男性皇族(親王及び)は武官大日本帝国陸軍及び大日本帝国海軍に属する皇族軍人)であったことから、登院は極めて稀であった。

叙勲編集

皇族身位令(旧皇室令、既に廃止)によって、次の区分に従って叙勲された。

軍人任官編集

皇族身位令によって、次の区分に従って任官された(→皇族軍人)。

皇族の裁判編集

民事訴訟編集

皇族相互間の民事訴訟については、特別裁判所として皇室裁判所が臨時に必要に応じて置かれ、これが管轄することになっていた。他方、皇族と人民(臣民)の間の民事訴訟については、人民の皇族に対する民事訴訟の第一審と第二審が東京控訴院の管轄に属することとされたこと等の外は、一般の法令によるものとされた。

刑事訴訟編集

皇族の刑事訴訟については、軍法会議の裁判権に属するものを除く外は、大審院の管轄に属するものとされた。軍法会議の裁判権に属するものについては、高等軍法会議で審判された。

皇族の特有事項編集

  • 皇族男子(親王および)は、皇位継承資格を有する。
  • 親王妃王妃を除く成年に達した皇族は、摂政就任資格を有する。
  • 皇后太皇太后皇太后陛下、それ以外の皇族は殿下敬称を称した(旧・皇室典範第17,18条)。またを持たない。
  • 皇族は天皇の監督を受けた(旧・皇室典範第35条)。
  • 皇族の後見人は、成年以上の皇族に限られた(旧皇室典範第38条)。
  • 皇族の結婚は、皇族同士か特に勅許(天皇の許可)を受けた華族との間に限定され、勅許を必要とした(旧・皇室典範第39,40条)。また、大正7年(1918年)11月28日皇室典範増補により、皇族女子は王公族(旧・韓国皇室)に降嫁することができた。
  • 皇族の養子は禁止された(旧・皇室典範第42条)。
  • 皇族は住所を東京市内に定め、東京市外への住所移転や国外旅行には勅許を必要とした(旧・皇室典範第43条)。
  • 皇族を勾引し、裁判所に召喚するには勅許を必要とした(旧皇室典範第51条)。
  • 皇族が品位を辱める行いをしたり、皇室に対して忠順を欠くときは勅旨を以って懲戒を受け、重い場合は皇族特権の停止、剥奪を受け、臣籍に降されることもあることになっていた(旧・皇室典範第52条・明治40年/1907年2月11日皇室典範増補第4条)。
  • 王は、勅旨又は情願によって華族となることができた(臣籍降下)。また、勅許によって華族の家督を相続することや、家督相続の目的で華族の養子となることができた。(明治40年-1907年-2月11日皇室典範増補第1,2条)
  • 宮号を賜った皇族には、別当家令・家扶・家従といった職員が附属された。また、武官である皇族には、皇族附武官佐官尉官)が附属された。
  • 皇族は満6歳から満20歳まで普通教育を受けるものとされ、原則として学習院又は女子学習院で就学するものとされた(皇族就学令)。
  • 皇族は商工業を営み、または営利を目的とする社団の社員もしくは役員となることができない(ただし株主となることはできる)。また、任官による場合を除くほか、報酬を受ける職に就くことができない。さらに、公共団体の吏員または議員となることもできない(貴族院議員を除く)。営利を目的としない団体の役員となる場合は勅許を要した(皇族身位令第44,45,46,47条)。

皇族の班位編集

皇族の班位(順位)は、皇族身位令により、次の順序によるものとされた。

  1. 皇后
  2. 太皇太后
  3. 皇太后
  4. 皇太子
  5. 皇太子妃
  6. 皇太孫
  7. 皇太孫妃
  8. 親王親王妃内親王王妃女王

また、以上の順序の中でも細かな点については以下のようになっていた。

  • 親王・王の班位は、皇位継承の順序に従う。
その順序は、以下のとおりである。
  1. 天皇の長子
  2. 天皇の長孫
  3. その他の天皇の長子の子孫
  4. 天皇の次子及びその子孫
  5. その他の天皇の子孫
  6. 天皇の兄弟及びその子孫
  7. 天皇の伯叔父及びその子孫
  8. それ以上の皇族
以上においては、同等内では、嫡出子及びその子孫の系統を先にして、庶出の子(非嫡出子)及びその子孫の系統を後にする。また、嫡出子・庶出の子それぞれの中でも、先に生まれた者及びその子孫の系統を優先して、後に生まれた者及びその子孫の系統を後にする。(嫡庶長幼の順)
  • 内親王女王の班位は、親王の班位に準じる。
  • 「親王、内親王、王、女王」で同順位にある者は、男を先にし、女を後にする。(男女の順)
  • 親王妃王妃の班位は、夫の次とする。内親王、女王であって親王妃、王妃となった者も例外としない。
  • 故皇太子の妃の班位は、皇太子妃の次とし、故皇太孫の妃の班位は、皇太孫妃の次とする。
  • 親王、王の寡妃未亡人)の班位は、夫生存中と同じとする。
  • 摂政に就任している親王、内親王、王、女王の班位は、皇太孫妃の次とする。但し、故皇太孫の妃があるときは、その次とする。
  • 皇太子、皇太孫が皇位継承の順序を変えられたときは、その班位は、皇太孫妃の次とする。但し、故皇太孫の妃があるときはその次とし、摂政に就任している親王、内親王、王、女王があるときはその次とする。
  • 親王、王が皇位継承順位を変更された場合においても、その班位は、順位変更前と同様にする。
  • 本来は王であるが、旧皇室典範制定前に親王宣下を受けて親王となっている者(宣下親王)は、宣下された順序によって、王の上とする。

旧皇族編集

本項で述べる旧皇族(きゅうこうぞく)とは、北朝第3代崇光天皇の男系(父系)子孫であり、連合国軍被占領期1947年昭和22年)にGHQ/SCAPの指令により皇籍離脱をした11宮家に属する51名のこと。この内、東伏見、山階、閑院、梨本、北白川家は既に絶家し、男系(父系)として続いているのは、それ以外の7つの家系にあたる。ただ、皇籍離脱した後も皇室の親戚という立場には変わりがなく(東久邇家一族は皇族ではないが、女系/母系で明治天皇第九皇女の聡子内親王昭和天皇第一皇女の成子内親王の血縁を有するために民法上は天皇の親族である)、皇室の親族が所属する親睦団体の菊栄親睦会を通じて、現在でも皇室との親近な交流は継続されている。

読み 現当主 備考
伏見家 ふしみ 伏見博明 世襲親王家。
閑院家 かんいん 世襲親王家。皇籍離脱時の当主、春仁王の逝去により1988年昭和63年)絶家。
ただし師仁親王の子孫は現・皇室。
久邇家 くに 久邇邦昭 香淳皇后の実家。
山階家 やましな 皇籍離脱時の当主:武彦王の逝去により1987年(昭和62年)絶家。
北白川家 きたしらかわ 皇籍離脱時の当主:道久王の逝去により2018年(平成30年)絶家。
梨本家 なしもと 皇籍離脱時の当主:守正王の死後、未亡人の伊都子が甥の徳彦を養子とした(平成19年死去)。
現・当主は徳彦の養子・隆夫であるが皇室と血縁関係はなく、実子系統では断絶。
賀陽家 かや 賀陽正憲 皇籍離脱時の当主:恒憲王の死後、長男邦寿1986年(昭和61年)に逝去し絶家。
ただし三男:章憲には男子の子孫[23]がある。
東伏見家 ひがしふしみ 皇籍離脱時に周子のみ。彼女の逝去により1955年(昭和30年)絶家。
なお、久邇宮邦彦王の第三王子、東伏見慈洽が同家の祭祀を継承したが、2014年(平成26年)に死去。
朝香家 あさか 朝香誠彦
竹田家 たけだ 竹田恒正
東久邇家 ひがしくに 東久邇征彦
 
京都御所に集った旧皇族一族
 
大正9年(1920年)の久邇宮一族。上段向かって左から、邦久王朝融王久邇宮邦彦王妃俔子久邇宮邦彦王信子女王。下段向かって左から、智子女王、良子女王(香淳皇后)、邦英王

旧皇族系図編集

崇光天皇
 
(1)栄仁親王
 
(2)治仁王
 
 
後花園天皇
 
後土御門天皇
 
後柏原天皇
 
後奈良天皇
 
正親町天皇
 
A
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
(3)貞成親王
(後崇光院)
 
 
(4)貞常親王
 
(5)邦高親王
 
(6)貞敦親王
 
(7)邦輔親王
 
(8)貞康親王
 
 
 
 
 
 
 
 
 
(9)邦房親王
 
B
 
 

A
 
誠仁親王
 
後陽成天皇
 
後水尾天皇
 
霊元天皇
 
東山天皇
 
中御門天皇
 
C
 
 
 
 
 
 
 
 
 
B
 
(10)貞清親王
 
(11)邦尚親王
 
 
福子内親王
 
 
(閑院宮1)直仁親王
 
D
 
 
 
 
 
 
 
 
(12)邦道親王
 
 
 
 
 
(15)貞建親王
 
E
 
 
 
 
 
 
 
 
(13)貞致親王
 
 
 
 
 
 
 
 
 
(14)邦永親王
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

C
 
桜町天皇
 
桃園天皇
 
後桃園天皇
 
 
 
 
 
 
(17)貞行親王
 
D
 
(閑院宮2)典仁親王
 
(閑院宮3)美仁親王
 
(閑院宮4)孝仁親王
 
(閑院宮5)愛仁親王
 
 
 
 
 
 
 
光格天皇
 
仁孝天皇
 
孝明天皇
 
明治天皇
 
大正天皇
 
 
 
 
 
 
 
 
 
(16)邦忠親王
 
 
E
 
 
(18)邦頼親王
 
(19)貞敬親王
 
F
 
 
 

F
 
(20/23)邦家親王
 
(山階宮1)晃親王
 
(梨本宮2/山階宮2)
菊麿王
 
(山階宮3)武彦王
(皇籍離脱)
 
 
 
 
 
 
 
 
(梨本宮1)守脩親王
 
 
(久邇宮1)朝彦親王
 
(賀陽宮1)邦憲王
 
(賀陽宮2)恒憲王
(皇籍離脱)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
(久邇宮2)邦彦王
 
(久邇宮3)朝融王
(皇籍離脱)
 
 
 
 
 
 
 
(梨本宮3)守正王
 
 
香淳皇后
 
 
 
 
 
 
多嘉王
 
 
第125代天皇
明仁上皇
 
第126代天皇
徳仁今上天皇
 
 
 
 
 
(21)貞教親王
 
 
(朝香宮)鳩彦王
(皇籍離脱)
昭和天皇
 
 
 
 
 
 
(東久邇宮)稔彦王
(皇籍離脱)
 
 
 
小松宮彰仁親王
 
 
(竹田宮1)恒久王
 
(竹田宮2)恒徳王
(皇籍離脱)
 
 
 
 
 
 
(北白川宮2)能久親王
 
 
(北白川宮3)成久王
 
(北白川宮4)永久王
 
(北白川宮5)道久王
(皇籍離脱)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
小松輝久
 
 
 
(華頂宮1)博経親王
 
(華頂宮2)博厚親王
 
 
 
 
(北白川宮1)智成親王
 
 
(25/華頂宮3)
博恭王
 
博義王
 
(26)博明王
(皇籍離脱)
 
 
 
 
 
 
 
 
(22/24)貞愛親王
 
 
邦芳王
 
 
(華頂宮4)
博忠王
 
 
 
 
 
(閑院宮6)載仁親王
 
(閑院宮7)春仁王
(皇籍離脱)
 
 
華頂博信
 
 
 
 
 
(東伏見宮)依仁親王
 
 
伏見博英
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
明治天皇
(1852-1912)
在位
1867-1912
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
大正天皇
(1879-1926)
在位
1912-1926
竹田宮恒久王
(1882-1919)
 
昌子内親王
(1888-1940)
北白川宮成久王
(1887-1923)
 
房子内親王
(1890-1974)
朝香宮鳩彦王
(1887-1981)
 
允子内親王
(1891-1933)
東久邇宮稔彦王
(1887-1990)
 
聡子内親王
(1896-1978)
昭和天皇
(1901-1989)
在位
1926-1989
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
昭和天皇
(1901-1989)
在位
1926-1989
竹田恒徳
(1909-1992)
永久王
(1910-1940)
朝香孚彦
(1912-1994)
盛厚王
(1916-1969)
 
成子内親王
(1925-1961)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
上皇
明仁

(1933-)
在位
1989-2019
 
竹田恒正
(1940-)
 
 
 
 
 
北白川道久
(1937-2018)
 
 
 
朝香誠彦
(1943-)
東久邇信彦
(1945-2019)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
今上天皇
徳仁

(1960-)
在位
2019-
 
 
竹田家
 
 
 
 
(男系断絶)
 
 
 
 
朝香家東久邇家


脚注編集

[脚注の使い方]
  1. ^ 皇室儀制令19条では「親王旗親王妃旗内親王旗王旗王妃旗女王旗」。
  2. ^ 『大辞林 第三版』三省堂
  3. ^ 退位後のお立場|平成から令和へ 新時代の幕開け|NHK NEWS WEB 2020年1月2日閲覧。
  4. ^ 昭憲皇太后については事情により「皇太后」と追号されている。詳細は「昭憲皇太后#追号について」を参照。
  5. ^ 直系尊属天皇から数えた数
  6. ^ 天皇の退位等に関する皇室典範特例法に基づき新設された為、従来の皇室典範にはない身位である。
  7. ^ 皇室典範(昭和二十二年法律第三号)「第十二条 皇族女子は、天皇及び皇族以外の者と婚姻したときは、皇族の身分を離れる。」
  8. ^ 2018年(平成30年)10月29日の絢子女王(守谷絢子皇籍離脱以降から現在の元内親王・元女王一覧
  9. ^ 皇室の構成図 - 宮内庁
  10. ^ ご結婚により,皇族の身分を離れられた内親王及び女王 – 宮内庁
  11. ^ 芦部信喜『憲法』p86
  12. ^ 朝日新聞デジタル『皇族の「人権」どこまで? 目につく「不自由さ」』
  13. ^ ただし離婚者が出た実例は戦前の旧皇室典範における1896年の東伏見宮依仁親王のみ。なお、天皇と皇后、上皇と上皇后は離婚をすることができない
  14. ^ 公職選挙法附則2項及び地方自治法附則抄第20条により「戸籍法の適用を受けないため、選挙権・被選挙権は当分の間停止されている」という規定が根拠とする見解がある。しかし、前述の法規定は「法施行時に日本国籍を有していた台湾人や朝鮮人を対象としたのであって、天皇や皇族を対象としたのではない」とする見解もある。1992年(平成4年)4月7日の参議院内閣委員会で宮尾盤宮内庁次長(当時)は、「天皇及び皇族の選挙権・被選挙権は、象徴的な立場にある天皇とその一家として『政治的な立場も中立でなければならない』という要請や、『天皇は国政に関する権能を有しない』(憲法4条1項)という規定の趣旨などを根拠として、有していないとされているのであり、公職選挙法の規定が根拠になるわけではない」とする旨の答弁している。なお、1946年(昭和21年)に制定された参議院議員選挙法は附則第一条で「皇族は、当分、この法律の規定にかかわらず、選挙権を有する」と規定されており、1947年(昭和22年)の第1回参議院議員通常選挙では戸籍法の適用を受けない皇族に選挙権が存在したものの、1950年(昭和25年)の公職選挙法制定で同様の文言は削除された。
  15. ^ 皇后は、天皇を元首として待遇する国際慣習により、元首の配偶者となるため旅券を必要としない
  16. ^ 日本の天皇はどんな場所に住んでいる? - 中国網(2012年4月12日
  17. ^ 侍従職・東宮職・宮務官・侍女長は特別職国家公務員である。
  18. ^ 皇族の方々、デートで完全2人になれずNG職種の交際相手も NEWSポストセブン
  19. ^ 皇室会議議員名簿 - 宮内庁”. 宮内庁. 2019年5月3日閲覧。
  20. ^ 宮内庁 皇室 ご略歴
  21. ^ a b c d 皇室会議議員名簿 宮内庁 平成28年10月24日現在
  22. ^ 橘氏(橘宿禰。「橘」が氏(ウヂ)、「宿禰」が姓(カバネ)。)の氏姓は、708年和銅元年)の元明天皇大嘗祭のとき、女官の県犬養三千代が、天武天皇の時代から仕えていることを称されて、杯に浮かぶとともに賜った。
  23. ^ 今上天皇の学友である賀陽正憲

関連項目編集

外部リンク編集