河北郡(かほく-ぐん)は、中国にかつて存在した五胡十六国時代から初にかけて、現在の山西省南部に設置された。

概要

編集

後秦のとき、河北郡が立てられた。417年義熙13年)、東晋沈林子が後秦の河北郡太守の薛帛を撃破し[1]、河北郡を占拠した。の叱奴侯提が東晋并州刺史の毛徳祖を蒲坂で破る[2]と、河北郡は夏に奪われた。

東魏のとき、河北郡は陝州に属し、北安邑南安邑河北大陽の4県を管轄した[3]

557年北周明帝元年)、虞州が立てられると、河北郡は虞州に転属した。

583年開皇3年)、が郡制を廃すると、河北郡は廃止されて、虞州に編入された[4]

脚注

編集
  1. ^ 宋書』自序
  2. ^ 晋書』赫連勃勃載記
  3. ^ 魏書』地形志二下
  4. ^ 隋書』地理志中