法蔵(ほうぞう、延喜5年(905年)- 安和2年(969年))は、平安時代中期の法相宗。俗姓は藤原氏。出身は京都。

東大寺寛救(かんく)に師事して法相教学を、延敒(えんしん)に師事して三論教学を、また醍醐寺貞助に師事して密教を学んで、東大寺実相院に住した。960年天徳4年)維摩会講師をつとめ、963年応和3年)の応和宗論で天台宗良源と対論を行っている。翌964年(応和4年)権律師に任じられ、968年(安和元年)権少僧都まで至っている。この間には東大寺別当もつとめている。その翌年、65歳で死去。

二中歴』においては、日本における宿曜道の祖として掲げられており、961年(応和元年)には村上天皇の本命供(ほんみょうく)をめぐって陰陽師賀茂保憲と対立し、勘文を奉っている。