波歌山古墳(はかやまこふん)は、岡山県瀬戸内市牛窓町牛窓にあった古墳。形状は前方後円墳。現在では墳丘は失われている。

波歌山古墳
所在地 岡山県瀬戸内市牛窓町牛窓
位置 北緯34度36分60.00秒
東経134度9分14.00秒
座標: 北緯34度36分60.00秒 東経134度9分14.00秒
形状 前方後円墳
規模 墳丘長60m
高さ8m(後円部)
埋葬施設 後円部:竪穴式石室1基
前方部:竪穴式石室1基
出土品 埴輪
築造時期 6世紀前半
史跡 なし
特記事項 墳丘は非現存
地図
波歌山古墳の位置(岡山県内)
波歌山古墳
波歌山古墳
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概要編集

 
古墳の所在した丘陵跡
(中央の空閑地)
牛窓オリーブ園から望む。左上の黒島に黒島1号墳、右の2丘陵に鹿歩山古墳二塚山古墳が所在する。
牛窓湾の前方後円墳5基
湾内位置 古墳名 墳丘長 築造時期 史跡指定
北東 牛窓天神山古墳 85m 4c中-後 瀬戸内市指定史跡
黒島1号墳 81m 5c前-中 なし
北西 鹿歩山古墳 84m 5c後 岡山県指定史跡
波歌山古墳 60m 6c前 消滅
南西 二塚山古墳 55m 6c後 岡山県指定史跡

岡山県南東部、牛窓湾に面して綾浦・紺浦を隔てる丘陵(波歌山、標高約40メートル)上に築造された古墳である[1]。牛窓湾では、本古墳のほか二塚山古墳鹿歩山古墳牛窓天神山古墳黒島1号墳の前方後円墳5基が湾を取り囲むように営造されたことが知られる。本古墳では1968年昭和43年)に岡山県教育委員会による測量調査が実施されたのち、1969年(昭和44年)の土取り工事で墳丘が削平されており、現在は丘陵の一部のみを残存する[1]

墳形は前方後円形で、前方部を南西方に向けた[2]。墳丘は2段築成と見られる[3][1]。墳丘表面で葺石の存在は明らかでないが、円筒埴輪片・形象埴輪片(盾形埴輪か)が採集された[1]。主体部の埋葬施設は後円部・前方部における竪穴式石室各1基[2]。またそれとは別に前方部南東部で木棺直葬と推測される施設が認められていた[1]

この波歌山古墳は、古墳時代後期の6世紀前半頃の築造と推定される[1]。他の前方後円墳4基とともに当時の牛窓湾の港湾としての政治的重要性を示す古墳になる[1]。特に吉備地方中枢部では同時期に古墳規模が大きく縮小するのに対して、牛窓では縮小度は小さい点が注意される[4]

構造編集

古墳の規模は次の通り[3]

  • 墳丘長:約60メートル
  • 後円部 - 2段築成。
    • 直径:約30メートル
    • 高さ:約8メートル
  • 前方部 - 2段築成。
    • 長さ:約34メートル
    • 幅:約23-35メートル
    • 高さ:約6メートル

埋葬施設編集

主体部の埋葬施設としては、後円部・前方部において各1基の竪穴式石室の構築が認められている[2]。各石室の詳細は次の通り。

後円部石室
石室規模は、長さ5.1メートル・幅1.2メートル・高さ2.1メートル[2]
石室主軸は墳丘主軸と平行方向[1]。割石積みにより構築される[1]
前方部石室
石室規模は、長さ6メートル・幅1.3メートル・高さ1.2メートル[2]
石室主軸は墳丘主軸と平行方向[1]

以上のほか、前方部南東部で木棺直葬(推定)1基が確認されている[1]。この木棺は長さ2メートル・幅0.7-0.8メートルを測り、下に角礫を敷いており、副葬品としてガラス小玉3・甲冑片・鉄鏃片・須恵器片が検出されている[1]

脚注編集

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参考文献編集

(記事執筆に使用した文献)

  • 地方自治体発行
    • 「波歌山古墳」『牛窓町史 資料編II(考古・古代・中世・近世)』牛窓町、1997年、157-173頁。
    • 『牛窓町史 通史編』牛窓町、2001年。
    • 「波歌山古墳」『牛窓町古墳図』牛窓町教育委員会、2002年、66頁。 - リンクは奈良文化財研究所「全国遺跡報告総覧」。
  • 事典類
    • 「波歌山古墳」『日本歴史地名大系 34 岡山県の地名』平凡社、1988年。ISBN 4582490344
    • 草原孝典「波歌山古墳」『続 日本古墳大辞典東京堂出版、2002年。ISBN 4490105991

関連文献編集

(記事執筆に使用していない関連文献)

  • 「波歌山古墳」『岡山県史 一八 考古資料』岡山県、1986年。