浄光院 (加藤清正側室)

浄光院(じょうこういん、正字:淨光院、? - 寛永2年6月24日1625年7月28日))は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての女性。加藤清正の側室。清正の長女・あま姫(本淨院)の生母。竹之丸殿と称された。

生涯編集

中世肥後国守護職を務めるなど、九州では名高い菊池氏の一族・赤星親武(太郎兵衛)の娘に生まれた。赤星家は豊臣秀吉の九州統一により没落したが、父・親武は肥後の新領主となった加藤清正に仕え、加藤十六将の一人とまで名を挙げた。兄に赤星道重がいる。

浄光院は慶長2年(1597年)の慶長の役の際、清正に伴われて朝鮮へ渡り、同地で清正の子を懐妊、翌3年(1598年)に秀吉の死去により全軍が朝鮮より撤退する際、日本へ帰国途中の島(壱岐か?)であま姫を出産した。一説には現地の海女がとりあげたので、清正によって「あま」と名づけられたという。帰国後は熊本城内の竹之丸に置かれたので竹之丸殿と称された。

娘・あま姫は榊原康勝と結婚するが、康勝が若死にしたため加藤家江戸屋敷に戻り、やがて阿部政澄に再嫁した。浄光院は晩年には生母としてあま姫と江戸で過ごしたと推測される。そのため、墓は池上本門寺阿部家墓地にある。

寛永2年(1625年)6月24日に死去。あま姫(本浄院)墓と同じ基壇に寄り添うように並べて建てられ、法名は「肥後守九大妃 淨光院殿日英俶神尼」と刻まれている。

参考文献編集

  • 水野勝之・福田正秀『加藤清正「妻子」の研究』ブイツーソリューション、2007年
  • 水野勝之・福田正秀『続 加藤清正「妻子」の研究』ブイツーソリューション、2011年