浅井了意
江戸時代前期の浄土真宗の僧・仮名草子作家
浅井 了意(あさい りょうい、慶長年間 - 元禄4年1月1日(1691年1月29日))は、江戸時代前期の仮名草子作家、浄土真宗の僧侶。号は松雲・瓢水子・羊岐斎[1]。摂州三島江出身。若年の頃は難波で浪人生活をしていたとみられている。初期の作品に「堪忍記」(万治2年・1659年)「可笑記評判」(万治3年・1660年)「かなめいし」(寛文2年・1662年)など。寛文6年(1666年)刊行の「伽婢子」は怪奇物の先駆として知られる。博学で記憶力が良かったとの同時代評が残っており、作品も数多い。「江戸名所記」「東海道名所記」「むさしあぶみ」などの作品があることから、江戸にも往来ないし一時居住したことがあったと考えられている。
経歴編集
慶長の頃、摂州三嶋江(高槻市)の本照寺(現碧流寺)の住職をしていた西川氏の家に生まれる[2]。誕生と前後して父が寺地を没収されており、若年の頃は難波で浪人生活をしていたとみられている[2]。
のちに京都・菊本町の正願寺の住職となり、「本性寺」の紙寺号を受けた[2]。
晩年に京都二条の本性寺(ほんしょうじ)の住職となり、昭儀坊了意と名乗った[3]。
元禄5年(1692年)に刊行された「狗張子」によれば、元禄4年の元旦〈1691年1月29日〉に昭儀坊で亡くなったという。
著書編集
- 2007年8月より『浅井了意全集』(岩田書院、全19巻:予定)の刊行が開始されている。
仮名草子編集
仮名草子だけでも30部余りの作品がある。
- 万治2年・1659年「堪忍記」
- 万治3年・1660年「可笑記評判」
- 寛文6年・1666年刊「伽婢子」- 怪奇物の祖として後世に大きな影響を与えた[4]。
- 「本朝女鑑」
- 「浮世物語」-浮世坊が諸国を巡遊する物語。「仮名草子」から浮世草子への過渡期の作品[4]。
- 元禄5年・1692年刊「狗張子」
名所記編集
その他編集
関連項目編集
脚注編集
参考文献編集
- 相賀徹夫 『万有百科事典 1 文学』小学館、1976年。ISBN 978-4095250168。