浅井井伴

日本の戦国武将

浅井 井伴(あざい いとも)は、戦国時代武将浅井氏の家臣。別名に井量

 
浅井井伴
時代 戦国時代
改名 井量
別名 弥太郎、木工助(通称
官位 木工助
主君 浅井亮政久政長政
氏族 浅井氏
父母 浅井井演
井規
テンプレートを表示

略歴

編集

近江横山城主の浅井井演の子[1]。生没年不詳。

菅浦文書』の天文7年(1538年)12月付けの発給文書に弥太郎(彌太郎)井量と署名したものがあり、「後改井伴」との注釈がある[2]

天文11年(1542年)から元亀2年(1571年)まで、北江菅浦(今浜代官を務めた[1]。この期間の『菅浦文書』には「木工助・井伴」の署名と花押の入った多数の発給文書が残る[3][4]

脚注

編集
  1. ^ a b 阿部 1990, p. 23.
  2. ^ 黒田惟信 1927, p. 372-373.
  3. ^ 東京大学史料編纂所データベースに花押の画像。
  4. ^ 黒田惟信 1927, p. 378-386.

参考文献

編集
  • 阿部猛; 西村圭子 編『戦国人名事典』(コンパクト)新人物往来社、1990年。ISBN 4404017529 
  • 黒田惟信 編「国立国会図書館デジタルコレクション 菅浦文書」『東浅井郡志. 巻4』滋賀県東浅井郡教育会、1927年https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1242755/229 国立国会図書館デジタルコレクション