浅野 長年 (あさの ながとし、? - 文久3年7月28日1863年9月10日))は、江戸時代後期の旗本通称は一学。浅野長広の子孫にあたる。

旗本浅野長邦の長男として誕生した。天保2年(1831年)3月28日、父の隠居にともない500石の家督を相続する。天保5年(1834年)12月26日、書院番士となる。天保14年(1843年)6月25日、安房国平郡の所領を長狭郡に改められた。文久3年(1863年)7月28日に死去した。高輪の泉岳寺に葬られた。法名は潤光院殿月照賞輪大居士。家督は長男の長栄が継いだ。