浜松空襲

第二次世界大戦末期に行われた、静岡県浜松市に対する戦略爆撃

浜松空襲(はままつくうしゅう)は、第二次世界大戦末期に連合国軍によって行われた、静岡県浜松市とその周辺地域に対する戦略爆撃・無差別攻撃の通称。アメリカ軍艦砲射撃にはイギリス海軍戦艦も参加した。

空襲後の浜松
浜松市戦災被爆者慰霊碑(浜松城公園

概要編集

浜松とその近郊は、その都市規模に比して多数回の空襲を受けた。その理由として、

  1. 軍施設が数多くあった。(浜松陸軍飛行場浜松教導飛行師団など)
  2. 軍需工場が数多くあった。(日本楽器中島飛行機鈴木織機など)
  3. 東海道の要に当たり、また、鉄道省浜松工機部があった。
  4. 東京名古屋を空襲するB-29爆撃機の往復ルートに当たっていた。空襲後、基地に帰る部隊は残った爆弾を浜松に捨てて帰るように命じられていた。

第21爆撃機集団による対日都市攻撃被害報告によると、当時の浜松の人口は166,346人。計560機により3,076トンの爆弾を投下したとある。これは横浜大空襲よりも多い機数で多くの爆弾を投下したことになる。

空襲の経緯編集

その他編集

  • 四十数本植えてあったプラタナスのうち三本が残り、のちに市民の木となった。
  • 幾度となる空襲や艦砲射撃の名残で不発弾が数多く発見されている。
  • 浜松市は市民戦傷者24人に年間25,000円の見舞金を支給している[2]

脚注編集

[脚注の使い方]
  1. ^ その後工場は小牧市に移転、跡地はナゴヤドームとなっている。
  2. ^ 2018年3月22日中日新聞朝刊8面

関連項目編集