浦戸海軍航空隊(うらどかいぐんこうくうたい)は、日本海軍の部隊・教育機関の一つ。20000人にも及ぶ空前の志願者を募った予科練甲飛第14期の生徒を教育するため、最後に新設された予科練教育航空隊である。緊急に開隊するために耕作地を収用し、飛行場とバラック兵舎を林立させたものの、正規カリキュラムに移行するまで1ヶ月かかり、その間は生徒も施設構築に従事した。

沿革

編集
  • 昭和19年11月1日 高知県長浜町に落成・開隊。第19連合航空隊に編入。

         松山海軍航空隊から甲飛第14期約1000名転入。

  • 昭和19年11月28日 甲飛第15期(奈良分遣隊入隊者)転入。
  • 昭和20年3月1日 19連空解散。呉鎮守府隷下第21連合航空隊に転籍。土佐湾沿岸防備隊を編制し、陣地構築に従事。
  • 昭和20年4月1日 甲飛第16期入隊(最後の予科練生)。
  • 昭和20年6月1日 予科練教育凍。陸戦・特攻訓練に教程変更。
  • 昭和20年7月15日 解隊。

オリンピック作戦コロネット作戦の合間に、陽動のための土佐湾上陸戦が起きることを想定し、海軍は桂浜に程近い浦戸地区に回天震洋を配備するとともに、土佐湾沿岸防備隊を編制して地上戦に備えることとなった。卒業を果たせなかった全生徒は、土佐湾沿岸防備隊に転属を命じられ、地上戦訓練を強いられた。 アメリカ軍は、オリンピック作戦に先立っての陽動作戦として、8万人の大軍をもって1945年10月末に高知県に侵攻する「パステル作戦」を敢行することを決定していた。

主要機種

編集

教育訓練部隊のため、航空機の配属はない。

歴代司令

編集
  • 別府明朋 少将[1][2]:昭和19年11月1日[1] - 昭和20年3月1日[2]
  • 山田敏世 大佐[2][3]:昭和20年3月1日[2] - 昭和20年7月15日[3]解隊

脚注

編集

関連項目

編集

参考文献

編集
  • 『日本海軍編制事典』芙蓉書房出版、2003年。
  • 『航空隊戦史』新人物往来社、2001年。
  • 『日本海軍航空史2』時事通信社、1969年。
  • 戦史叢書 海軍航空概史』朝雲新聞社、1976年。
  • 『海軍飛行豫科練習生1』国書刊行会、1983年。
  • 『連合艦隊海空戦戦闘詳報別巻1』アテネ書房、1996年。