深見有安
深見 有安(ふかみ ありやす)は、江戸時代の薩摩藩の武士。真影流(直心影流)の剣術家。
時代 | 江戸時代後期 |
---|---|
生誕 | 文化4年2月29日(1807年4月6日) |
死没 | 嘉永7年9月29日(1854年11月19日) |
別名 | 通称:休八 |
戒名 | 直操院一夢玄道居士 |
墓所 | 曹洞宗泉谷山大円寺 |
幕府 | 江戸幕府 |
藩 | 薩摩藩 徳之島蔵方目附 |
子 | 養子:深見有正 |
坂口兼儔(坂口作市)・坂口兼郷親子の門人で、後に直心影流師範家・長沼氏(宗家の沼田藩の長沼氏ではなく、加納藩の長沼氏)の門人となる。
出自・生涯 編集
明国からの帰化人・高寿寛の孫の深見元岱の一族の子孫という深見家で誕生し、後に分家する。『鹿児島城下絵図散歩』によると、現在の鹿児島県鹿児島市照国町の地に住んでいた。
坂口兼儔の門人となって、真影流を学ぶ。剛毅な性格であったといい、後に故あって謝絶して江戸に上って直心影流師範の長沼万郷(長沼四郎左衛門)の門人となり、皆伝を授かった後に薩摩藩に戻り、真影流の道場を開いた。
関広国(関勇助)の後任として徳之島蔵方目附となり、徳之島に渡る。鹿児島に戻った3年後に江戸で死去し、曹洞宗泉谷山大円寺に葬られる。