清音寺(せいおんじ)は、茨城県東茨城郡城里町にある臨済宗南禅寺派寺院

清音寺
所在地 茨城県東茨城郡城里町下古内1130
位置 北緯36度27分03.7秒 東経140度20分01.8秒 / 北緯36.451028度 東経140.333833度 / 36.451028; 140.333833座標: 北緯36度27分03.7秒 東経140度20分01.8秒 / 北緯36.451028度 東経140.333833度 / 36.451028; 140.333833
山号 太古山
院号 獅子院
宗派 臨済宗南禅寺派
創建年 大同4年(809年
開山 弘法大師空海
中興年 康永3年(1344年)【第1次】、慶長7年(1602年)【第2次】
中興 佐竹義篤【第1次】、徳川家康【第2次】
文化財 宝篋印塔三基(城里町指定文化財)
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歴史 編集

809年大同4年)、弘法大師空海によって開山された。その後837年承和4年)に空海の弟子である真雅が「鎮護山大聖教院浄光寺」と称する寺院として整備した。その後1051年永承6年)の前九年の役の時に、源頼義が戦勝祈願をしたり、1193年建久4年)に鎌倉幕府初代将軍源頼朝が那須野の巻狩において、寺領を与えたりしている[1]

しかし1236年嘉禎2年)の火災でほぼ全焼してしまった。1344年康永3年)に常陸国佐竹氏当主佐竹義篤が父の貞義の追善供養のために再建した。その際に真言宗から臨済宗に転宗し、「太古山獅子院清音寺」に改称した[1]

1580年天正8年)に、またもや火災に遭ってしまった。しかも有力檀家だった佐竹氏は出羽国に転封され、廃寺の危機に陥った。1602年慶長7年)に幸いにも徳川家康の保護を受けることに成功し再建された。そして水戸藩第2代藩主徳川光圀により、南禅寺の直属寺院となっている。当寺の所属宗派が「臨済宗南禅寺派」なのは、これに由来する[1]

文化財 編集

  • 宝篋印塔三基(城里町指定文化財 昭和47年12月27日指定)[2]

交通アクセス 編集

脚注 編集

  1. ^ a b c 稲葉博 著『関東古社名刹の旅2(群馬・栃木・茨城編)』読売新聞社、1987年、208-210p
  2. ^ 宝篋印塔三基城里町

参考文献 編集

  • 稲葉博 著『関東古社名刹の旅2(群馬・栃木・茨城編)』読売新聞社、1987年