渡辺三郎 (陸軍軍人)

日本の陸軍軍人

渡辺 三郎(わたなべ さぶろう、1897年明治30年)1月6日[1][2] - 1969年昭和44年)1月1日[1][2])は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。旧姓・末国。

経歴

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広島県出身[1][2][3]。教員・末国又一の三男として生まれ、渡辺金作の養子となる[1]。山口中学校(現山口県立山口高等学校)を経て、1918年(大正7年)5月、陸軍士官学校(30期)を卒業[1][2][4]。同年12月、歩兵少尉に任官し歩兵第70連隊付となる[1][4]。1926年(大正15年)12月、陸軍大学校(38期)を卒業した[1][2][3]

1927年(昭和2年)8月、歩兵第76連隊中隊長に就任し、参謀本部付勤務、参謀本部員、イギリス駐在、歩兵第41連隊大隊長、陸軍運輸部員、陸大教官などを経て、1939年(昭和14年)8月、歩兵大佐に昇進[1][3]。1940年(昭和15年)7月、参謀本部付として、変名・渡辺次郎を用いてラングーンに駐在した[1][3]

1941年(昭和16年)3月、第16師団参謀長に発令され太平洋戦争を迎えた[1][2][3]フィリピン攻略戦に参加[2]。1942年(昭和17年)11月、船舶工兵第4連隊長に転じ、1944年(昭和19年)4月、第3船舶輸送司令部スマトラ支部長となり、1945年(昭和20年)3月、陸軍少将に進んだ[1][2][3]。同年4月、第3船舶輸送司令官に就任し終戦を迎えた[1][2][3]。その後、戦犯容疑で逮捕されたが、1948年(昭和23年)4月に無罪判決を受けて釈放され復員した[1]。同年1月31日、公職追放仮指定を受けている[5]

親族

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脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m 『日本陸海軍総合事典』第2版、174頁。
  2. ^ a b c d e f g h i 『日本陸軍将官辞典』810頁。
  3. ^ a b c d e f g 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』418頁。
  4. ^ a b 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』416、423頁。
  5. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十三年一月三十一日 仮指定者」212頁。

参考文献

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  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。