渡辺 専次郎(わたなべ せんじろう、1861年9月17日万延元年8月13日) - 1916年大正5年)9月)は、日本実業家三井物産専務理事や、三井同族会管理部会員など務めた。

人物・経歴編集

横浜医師の次男として生まれる。商法講習所(現一橋大学)を経て、矢野二郎校長の紹介で岩下清周とともに1879年に三井物産に入社した[1]。1881年横浜支店詰[2]。その後ロンドン支店詰となり、長年イギリスで勤務し、妻の満里はイギリス人[3][1]

1885年ロンドン支店副支配人。1886年ロンドン支店支配人。1895年には理事兼ロンドン支店支配人(1899年から支店長に名称変更)となり[2]紡績機の輸入やの輸出、山本条太郎上海支店長との連携による石炭の購入などを進めた[4][1]

1903年から益田孝の後を受けて三井物産専務理事を務め[5]、三井営業店重役会会員や、三井同族会事務局管理部会員も兼務した[6]。1904年日露戦争の戦功で勲四等旭日小綬章受章。1909年に三井物産が株式会社化すると常務取締役に就任しロンドン在勤[2][7]

1911年三井銀行取締役。1914年三井物産本店首席常務取締役に就任。三井鉱山取締役も務めた。1916年病気で危篤となり従五位勲三等瑞宝章。同年在職のまま死去した[8][2][9][10]。次男の渡辺米男はイギリス人と結婚し、ケンブリッジ大学卒業後、イングランドサリー州養鶏場を設立した[11]

脚注編集

  1. ^ a b c 「渡辺専次郎を論ず/159」実業之日本社編『当代の実業家人物の解剖』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  2. ^ a b c d 「渡辺専次郎特旨叙位ノ件」アジア歴史資料センター
  3. ^ 「渡邊專次郞 (男性)」日本研究のための歴史情報『人事興信録』データベース(名古屋大学)
  4. ^ 「ロンドン支店と渡辺専次郎支店長」,由井常彦『講話 歴史が語る「日本の経営」: その進化と試練』PHP研究所
  5. ^ 「三井物産(株)『挑戦と創造 : 三井物産一〇〇年のあゆみ』(1976.07)」渋沢社史データベース
  6. ^ Title 三井呉服店および三井工業部における慶應義塾卒業生の同行慶應義塾大学
  7. ^ 「三井『三井事業史. 本篇 第3巻 上』(1980.09)」渋沢社史データベース
  8. ^ 三井物産株式会社常務取締役渡辺専次郎叙勲賞勲局総裁ヘ申牒ノ件アジア歴史資料センター
  9. ^ 「(株)三井銀行『三井銀行五十年史』(1926.09)」渋沢社史データベース
  10. ^ 敍任及辭令 / - / - / 渡邊專次郞等(宮内省)/p557官報. 1916年09月28日
  11. ^ 英人びっくり―邦人のこの腕雌雄の見分けで日収四百円以上孵らぬ卵は一つもない名禽舎養鶏に発揮する霊能大阪朝日新聞 1934.4.25 (昭和9)(神戸大学経済経営研究所 新聞記事文庫 畜産業(5-086))
先代:
益田孝
三井物産専務理事
1903年 - 1908年
次代:
飯田義一