渥美清太郎
渥美 清太郎(あつみ せいたろう、1892年(明治25年)9月9日[注 1][1]- 1959年(昭和34年)8月20日)は、日本の演劇研究者、評論家である[2][3]。筆名は鈍太郎、今谷久平[2][4]。
経歴・人物
編集東京市下谷区(現在の東京都台東区下谷)七軒町に生まれる[3]。幼年期より、演劇や歌舞伎等の芝居に興味を持ち[3]、独学で脚本や資料を研究した[4]。郁文館中学校卒業後、青山学院高等部に在学する傍らに、上野図書館(現在の国際子ども図書館)に勤務する[3]。
1911年(明治44年)に演芸画報社に入社し[2][4]、雑誌『演芸画報』の編纂に携わった[4][5]。1943年(昭和18年)に廃刊するが、同年その後継である『演劇界』の編纂にも携わった[6]。その後は、歌舞伎や日本舞踊、琴や尺八等の邦楽を研究し、多くの著書や辞典を刊行した[2][4]。