湯浅宗重

平安時代末期から鎌倉時代初期の武将。紀伊国湯浅城主。子に湯浅宗景、得田盛高、糸我宗方、藤並親の妻。

湯浅 宗重(ゆあさ むねしげ、生没年不詳)は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての武将。藤原北家藤原宗永の子とされる(諸説あり)。紀伊国湯浅城(現・和歌山県有田郡湯浅町青木)主。

生涯 編集

康治2年(1143年)、所領である紀伊国在田郡湯浅荘に湯浅城を築いて、今まで居城であった広保山城から移る。

平治元年(1159年)、熊野詣で紀伊国に来ていた平清盛平治の乱の一報を伝え(『愚管抄』)、その後清盛と共に上洛を果たして有力武将の一人となる。

清盛の死後、平重盛の子忠房を擁して湯浅城に立て籠もるが源頼朝に降伏し、文治2年(1186年)に所領を安堵される。以後、順調に所領を増やして紀の川流域まで勢力を広げ、後に湯浅党と呼ばれた。

系譜 編集