滝澤 和義(たきざわ かずよし)は、オウム真理教の元幹部。ホーリーネームウパヴァーナ省庁制が採用された後は、「科学技術省次官」となった[1]

オウム真理教徒
滝澤 和義
ホーリーネーム ウパヴァーナ
ステージ 師長
教団での役職 科学技術省次官
入信 1988年
関係した事件 サリンプラント建設事件ほか
判決 懲役8年
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来歴 編集

石川県出身。名古屋市の専門学校で制御工学を学び、1988年に中退し出家[1]1993年土谷正実らの協力のもとサリンプラント建設の責任者となる(サリンプラント建設事件)。麻原からプラントを完成しなかったら無間地獄行きとまで脅されていたが完成しなかった[2]。サリンプラント建設に集中させられ教団の祭りにも出られず、「おれは使い捨てサマナだ」と不満も漏らしていた[3]

だが同時並行で行っていた反応釜を用いる方法には成功し、1994年滝本太郎弁護士サリン襲撃事件松本サリン事件に使用された「青色サリン溶液」を土谷正実中川智正らと協力して製造した[2]

他にもクシティガルバ棟の排気設備の建設、池田大作サリン襲撃未遂事件(現場にも立ち会う)や亀戸異臭事件など化学兵器生物兵器の散布装置の製造、島田裕巳宅爆弾事件の爆弾製造、地下鉄サリン事件での傘の先の研磨などに関与した[4][2][5]。第2次池田サリン事件ではサリン中毒になりながら車を運転した[6]

1996年7月3日サリンプラント建設事件島田裕巳宅爆弾事件で懲役8年の実刑判決を受けた[7][5]

関連項目 編集

脚注 編集

  1. ^ a b 東京キララ社編集部『オウム真理教大辞典』 p.85
  2. ^ a b c 平成7合(わ)141 殺人等 平成16年2月27日 東京地方裁判所 A21=滝澤
  3. ^ 「サリン生産プラント事件 不満と疑念募らせた信者」読売新聞 1996年3月31日
  4. ^ 降幡賢一『オウム法廷 グルのしもべたち 下』p.111, 『オウム法廷2 上』p.175, 255
  5. ^ a b 読売新聞 1995年8月12日付 朝刊31面
  6. ^ 降幡賢一『オウム法廷12』 p.67
  7. ^ 降幡賢一『オウム法廷7』 p.92