瀧口吉良

明治期山口県の銀行家、政治家

瀧口 吉良(たきぐち よしなが、1858年12月2日安政5年10月27日) - 1935年昭和10年)8月18日)は、明治期山口県の銀行家、政治家。号は明城。勲四等旭日小綬章

瀧口吉良

経歴 編集

長門国阿武郡明木村(現・萩市)生まれ。父は治三という。1881年(明治14年)慶應義塾を経て寄宿舎に入る。 山口県会議員(4期当選)、県会議長を経験。1890年、山口県から第一回貴族院多額納税者議員に互選され、同年9月29日に任命された[1]農商務省嘱託委員として1900年パリ万国博覧会に派遣される。伊藤博文の紹介で立憲政友会に入り、1904年(明治37年)には衆議院議員に当選。日清戦争の功で銀杯を下賜され、日露戦争の功で勲四等に叙す。長防貯蓄銀行頭取となる。

親族 編集

脚注 編集

  1. ^ 『官報』第2179号、明治23年10月2日。
  2. ^ 『人事興信録 第4版』た141頁。

参考文献 編集